が大きいから……とか何とかいう単純な、唯物的な理由でもってアッサリ片づけているようだが、永年、漁夫《りょうし》の中を転がりまわって、半風子《しらみ》を分け合った吾輩の眼から見ると、その奥にモウ一つ深い心理的な理由があるのだ。すなわち一言にして蔽《おお》うと、この爆弾漁業なるものこそ、吾が日本の国民性に最も適合した漁業法……怪《け》しからんと云ったって事実なんだから仕方がない。イザ戦争となると直ぐに肉弾をブッ付ける。海では水雷艇の突撃戦に血を湧かしたがる。油断すると爆薬を積んだ飛行機を敵艦にブッ付けようかという、万事、極端まで行かなければ虫が納まらないのを、大和魂《やまとだましい》の精髄と心得ている日本人だ。……最初は九州の炭坑地方の河川で、慰み半分に工業用ダイナマイトを使って極く内々で遣っていた奴が、こいつは面白いというので玄海|洋《なだ》に乗り出すと、見る見る非常な勢いで氾濫し始めた。
 君等は気が付かなかったかも知れんが、明治四十年前後まで、関西の市場に大勢力を占めていた対州鰤《たいしゅうぶり》という奴が在った。魚市場《せりば》へ行ってみると、黒い背甲《せこう》を擦剥《すりむ》いて赤身を露《だ》した奴がズラリと並んで飛ぶように売れて行ったものだが、これは春先から対州《たいしゅう》の沿岸を洗い初める暖流に乗って来た鰤の大群が、沿岸一面に盛り上る程、押合いヘシ合いしたために出来たコスリ傷だ。いわば対州鰤の一つの特徴になっていたくらい盛んなものだった。
 ところが、それほど盛大を極めていた鰤の周遊が、爆弾漁業の進出以来、五六年の中《うち》に絶滅してしまった。勿論、対州の官憲が、在住漁民と協力して極力取締を励行したものだが、何をいうにも相手が爆弾を持っている連中だから厄介だ。間誤間誤《まごまご》すると鰤の代りに、こっちの胴体が飛ばされてしまう。殉職した警官や、藻屑《もくず》になった漁民《りょうみん》が何人あるかわからない……といった状態で、アレヨアレヨといううちに、対州鰤をアトカタもなくタタキ付けた連中が、今度は鋒先を転じて南鮮沿海の鯖を逐《お》いまわし始めた。
 彼奴《きゃつ》等が乗っている船は、どれもこれも申合わせたように一丈かそこらの木《こ》ッ葉船《ぱぶね》だ。一挺の櫓と一枚か二枚の継《つ》ぎ矧《は》ぎ帆《ほ》で、自由自在に三十六|灘《なだ》を突破しながら、「絶海
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