てしまった。一介の漁師としては正に位、人臣を極めるところまで舞い上って来た訳だが、サテ、そうなってみるとドウモ調子が面白くない。朝鮮|緘《おど》しの金モール燦然《さんぜん》たる飴売《あめう》り服や、四角八面のフロックコートを一着に及んで、左様《さよう》然らばの勲何等|風《かぜ》を吹かせるのが、どう考えても吾輩の性に合わなかったんだね。正直正銘のところ山内閣下から轟……轟といって可愛がらるよりも、五十万の荒くれ漁夫《りょうし》どもから「おやじおやじ」と呼び付けられる方が、ドレ位嬉しいかわからない。この心境は知る人ぞ知るだ。トウトウ思い切ってこうした心事を、山内さんの前で露骨に白状したら、山内さんあのビリケン頭に汗を掻いて大笑《おおわらい》したよ。……あんなに笑ったのを見た事が無いと、同席の藁塚《わらづか》産業課長が云っておったがね。
その結果、現官のままの吾輩を中心にして東洋水産組合というものが認可されて本拠を釜山《ふざん》の魚市場に近い岩角《がんかく》の上に置いた。費用は五十万の漁民《りょうみん》から一戸当り毎年二十銭ずつ、各道の官庁から切ってもらって、半官半民的に漁民の指導保護、福利増進に資すると同時に北は露領沿海州から、西は大連《たいれん》沖、支那海まで進出して宜しいという鼻息を、総督から内々《ないない》で吹き込まれた……というと実に素晴らしい、堂々たる事業に相違ない。吾輩の生命《いのち》の棄て処が出来たというので、躍り上って喜んだものだが、サテ実際に仕事を初めてみると、何より先に驚ろかされたのは組合費が集まらない事だった。
アタジケナイ話だが、一年の一戸当りがタッタ二十銭とはいうものの、税金と違って罰則が無い。おまけに遣りっ放しの海上生活者が相手なんだから徴収困難は最初《てん》から覚悟していたが、半分以下に見て七千円の予算が、その又半分も覚束《おぼつか》ない。吾輩の本俸手当を全部タタキ込んでも建物の家賃と、タッタ一人の事務員の月給と、小使の給料に足りないのだから屁古垂《へこた》れたよ……実際……。
ところが一方に吾輩が総督府を飛出して、水産組合を作ったという評判は、忽《たちま》ちの中に全鮮へ伝わったらしいんだね。到る処から「おやじおやじ」の引張り凧《だこ》だ。……行ってみると漁場《りょうば》の争奪、漁師の喧嘩、発動機船|底曳《そこひき》網の横暴取締り、魚
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