し、それでも折角の先生の苦心がこれで打切りになるのか……親父《おやじ》の一代もコレ切りになるのか……といったような事を色々考えているうちに胸が一パイになってしまった。
 ところが虫が知らせたのであろう。そう思っているうちにその言葉が遺言になってしまった。自分も一所に海へタタキ込まれてしまったが、間もなく正気に帰ってみると、水船の舷側にヘバリ付いてブカブカ遣っていることがわかった……ちょうど向側《むこうがわ》だったから甲板《デッキ》の上から見えなかったんだね。おまけにどこにも怪我《けが》一つしたような感じがしない。
 そこでコンナ処に居ては険呑《けんのん》だと気が付いたから、出来るだけ深く水の底を潜って、慶北丸の左舷の艙口《ハッチ》から機関室に潜り込んだ。そこいらに干して在った菜《な》ッ葉服《ぱふく》を着込んで、原油《オイル》と粉炭を顔に塗付《ぬりつ》けると知らん顔をしてポンプに掛かっていたが、混雑のサナカだったから誰にもわからなかった。スレ違った来島にも気付かれないで、無事に釜山へ帰り着いた……そこで又、吾輩の処へ帰ったら物騒だと考えたから、そのままドン仲間に紛れ込んで、海上を流浪する事十箇月……その片手間に親の讐敵《かたき》だというので、潜行爆薬《モグリハッパ》の抜け道を探るべく、あらん限りの冒険をこころみていたが、お蔭で字が読めるようになっていた上に、朝鮮語と、柳河語と、東京弁が自由自在に利いたので非常に便利な事が多かった。
 すると又そのうちに吾輩がタッタ一人で、淋しい絶影島《まきのしま》の離れ家に引込んだ話を風の便りに聞いたので、これには何か仔細《わけ》が在りそうだ。まだ帰るにはチット早いが、ソーッと様子を見てやろうと思って、一番お得意の朝鮮人に化けて帰って来てみると、なつかしい三人の声が聞こえて来る。それが一つ残らずあの世から聞いているような話ばかりなのでタマラなくなってここへ出て来ました。こうなったら、愈々《いよいよ》先生と死生を共にするばかりです。朝鮮人に化けていたら一所に居ても大丈夫でしょう。親父《おやじ》と同様に使って下さい。ドンナ事でも致しますから親父の讐仇《かたき》を討たして下さい……という涙ながらの物語りだ。どうだい。今時には珍らしい青年だろう。

 この青年と、吾輩の半|出来《でき》の報告書を一所にして提供したら、いい加減お役に立つだろう。
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