ヨボ》公か……コンナ処まで浮かれて来るなんて呑気な奴も在るもんだ。アッチへ行け。|何も無い《オブソ》|何も無い《オブソ》。
 というので手を振って見せたが動かない。そのうちに気が付いて見るとそれが擬《まが》いもない友太郎だったのにはギョッとさせられたよ。噂をすれば影どころじゃない。テッキリ幽霊……と思ったらしい。三人が三人とも坐り直したもんだ。
 ……ハハハ……ナアニ。聞いて見たら不思議でも何でもないんだ。
 何よりも先に××沖で例の一件を遣付《やっつ》けた時の話だが……慶北丸に引かれた小船で、沖へ揺られて行く途中で早くも親父《おやじ》の顔を見て取った友太郎がハッとしたものだそうだ。そこでもしやと思って親父の図星《ずぼし》を刺してみると果して「その通りだ。モウ勘弁ならん」と冷笑している。……これはいけない。こうなったら取返しの附かない親父だと思うには思ったが、何ぼ何でも吾輩の一身が案じられたもんだから一生懸命に親父の無鉄砲を諫《いさ》めにかかったが……モウ駄目だった。
「……ナアニ。心配するな。轟先生の泳ぎは神伝流の免許取りだから一所《いっしょ》に沈む気遣いはない。アトで拾い上げて大急ぎで釜山に帰るんだ。そのうちに先生を説伏《ときふ》せて組合の巡邏船、鶏林丸に食糧と油を積んで、その夜《よ》の中《うち》にズラカッてしまう。真直《まっすぐ》に露領沿海州へ抜けて俺の知っている海岸で冬籠りの準備をする。春になったら砂金|採《と》りだ。誰も寄り付けない絶壁の滝壺の中に一パイ溜まっているのを、お前と二人で見た事が在るだろう。……あすこへ行くんだ……あの瀑布《たき》の上の方を爆薬《ドン》でブチ壊して閉塞《ふさ》いでしまえばモウこっちのもんだ。儲かるぜそれあ……轟先生は元来、正直過ぎるからイカン。役人の居る処はドウセイ性に合わん事を御存じないんだ。あんな人を一生貧乏さしといては相済まん。……朝鮮はモウ嫌じゃ嫌じゃ。西比利亜《シベリア》が取れたら沿海州へ行くと口癖に云うて御座ったから、コレ位、宜《え》え機会《おり》はない。モウ西比利亜には日本軍がワンワン這入っとるから喜んで御座るにきまっとる……それでも嫌なら今の中《うち》に貴様もデッキに上っとれ。……俺が一人で遣っ付けてくれる。轟先生の演説ぐらいで正気附く野郎等じゃない……」
 という見幕だったのでトテも歯の立てようがなかった。しか
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