白髪小僧
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)銀杏《いちょう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)皆|遣《や》ると云い出しました。

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(例)※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った
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   第一篇 赤おうむ


     一 銀杏《いちょう》の樹

 昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。この小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、定《きま》った寝床さえありませんでしたが、唯《ただ》名前ばかりは当り前の人よりもずっと沢山に持っておりました。
 その第一の名前は白髪《しらが》小僧というのでした。これはこの小僧の頭が雪のように白く輝いていたからです。
 第二は万年小僧というので、これはこの小僧がいつから居るのかわかりませぬが、何でも余程昔からどんな年寄でも知らぬものは無いのにいつ見ても十六七の若々しい顔付きをしていたからです。又ニコニコ小僧というのは、この小僧がいつもニコニコしていたからです。その次に唖《おし》小僧というのは、この小僧が口を利いた例《ためし》が今迄一度もなかったからです。王様小僧というのは、この乞食が物を貰った時お辞儀をした事がなく、又人に物を呉《く》れと云った事が一度も無いから付けた名前で、慈善小僧というのは、この小僧が貰った物の余りを決して蓄《た》めず他の憐《あわ》れな者に惜《お》し気《げ》もなく呉れて終《しま》い、万一他人の危《あやう》い事や困った事を聞くと生命《いのち》を構わず助けるから附けた名前です。その他不思議小僧、不死身小僧、無病小僧、漫遊小僧、ノロノロ小僧、大馬鹿小僧など数えれば限りもありませぬ。人々は皆この白髪小僧を可愛がり敬《うやま》い、又は気味悪がり恐れておりました。
 けれども白髪小僧はそんな事には一切お構いなしで、いつもニコニコ笑いながら悠々《ゆうゆう》と方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰ったり人を助けたりしておりました。
 或る時白髪小僧は王様の居る都に来て、その街外《まちはず》れを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭でウトウトと居睡《いねむ》りをしておりました。ところへ不意に高いけたたましい叫び声が聞こえましたから眼を開いて見ると、つい眼の前の川の中にどこかの美しいお嬢さんが一冊の本を持ったまま落ち込んで、浮きつ沈みつ流れて行きます。
 これを見た白髪小僧は直ぐに裸体《はだか》になって川の中に飛び込んでその娘を救い上げましたが、間もなく人々の知らせで駈けつけた娘の両親は、白髪小僧に助けられて息を吹き返した娘の顔を見ると、只《ただ》もう嬉《うれ》し泣きに泣いて、濡《ぬ》れた着物の上から娘をしっかりと抱き締めました。そして直ぐに雇った馬車に娘と白髪小僧を乗せて自分の家に連れて行きましたが、その家の大きくて美しい事、王様の住居《すまい》はこんなものであろうかと思われる位で、お出迎えに出て来た娘の同胞《きょうだい》や家来共の着物に附けている金銀宝石の飾りを見ただけでも当り前の者ならば眼を眩《ま》わして終う位でした。併《しか》し白髪小僧は少しも驚きませんでした。相も変らずニコニコ笑いながら悠々と娘の両親に案内されて奥の一室《ひとま》に通って、そこに置いてある美事な絹張りの椅子に腰をかけました。
 ここで家《うち》中の者は着物を着かえた娘を先に立てて白髪小僧の前に並んでお礼を云いましたが、白髪小僧は返事もしませぬ。矢張りニコニコ笑いながら皆の顔を見まわしているばかりでした。
 お礼を済ました家《うち》中の者が左右に開いて白髪小僧を真中にして居並ぶと、やがて向うの入り口から大勢の家来が手に手に宝石やお金を山盛りに盛った水晶の鉢《はち》を捧げて這入《はい》って来て、白髪小僧の眼の前にズラリと置き並べました。その時娘のお父さんは白髪小僧の前に進み出て叮嚀《ていねい》に一礼して申しました。
「これは貴方《あなた》の御恩の万分の一に御礼するにも当りませぬが、唯《ただ》ほんの印ばかりに差し上げます。御受け下さるれば何よりの仕合わせで御座います」
 白髪小僧はそんなものをマジマジ見まわしました。けれども別段有り難そうな顔もせず、又要らないというでもなく、家来共の顔や両親や娘の顔を見まわしてニコニコしているばかりでした。この様子を見た娘の父親は何を思ったか膝を打って、
「成《な》る程《ほど》、これは私が悪う御座いました。こんな物は今まで御覧になった事がないと見えます。それではもっと直ぐにお役に立つものを差し上げましょう」
 と云いながら家来の者共に眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味《い》しくて頬《ほお》ベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、その中《うち》に最前の午寝《ひるね》がまだ足りなかったと見えて、眼を細くして眠《ね》むたそうな顔をしていました。
 大勢の人々は、こんな有り難い賜物《たまもの》を戴《いただ》かぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、呆《あき》れ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様《しよう》としましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆|遣《や》ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこの家《うち》に一生涯養って、どんな贅沢《ぜいたく》でも思う存分|為《さ》せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡《ひるね》をさしてくれた方が余《よ》っ程《ぽど》有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
 とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前《さっき》から椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息《ためいき》をついて考え込んでいた娘は、この時|徐《しず》かに立ち上って清《すず》しい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令《たとい》どんな貴《たっと》い品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。妾《わたし》はその理由《わけ》をよく知っています」
 と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
 と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆|一時《いちどき》に娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠《くちご》もりましたが、とうとう思い切って、
「その訳《わけ》はこの書物にすっかり書いて御座います」
 と云いながら、懐《ふところ》から黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。
「この書物に書いてある事を読んで見ますと、白髪小僧様は今までこの国の人々が見た事も聞いた事もない不思議な国の王様なので御座います。ですからこの世の中でどんなに貴い物を差し上げても、どんなに面白い物を御目にかけても、御喜びになる気遣《きづか》いはあるまいと思います。そうしてそればかりでなく、白髪小僧様が妾《わたし》の命を御助け下さるという事は、ずっと前から定《き》まっていた事で、その証拠にはこの書物には、妾が水に落ちましてから、助けられる迄の事が、ちゃんと書いてあるので御座います。決して御礼を貰おうなどいう卑《さも》しい御心で御助け下さったのでは御座いませぬ」
 と決然《きっぱり》とした言葉で申しました。
 両親は云うに及ばず、大勢の人々もこの娘の不思議な言葉に、心の底から驚いてしまって、暫《しばら》くはぼんやりと娘の顔と白髪小僧の顔とを見比べていましたが、何しろあんまり不思議な話しで、どうも本当《ほんと》らしくない事ですから、父様は頭を左右に振りながら――
「これ娘、お前は本気でそんな事を云うのか。私はどうしてもお前の話しを本当《ほんと》にする事は出来ない。一体お前はどこでそんな奇妙な書物を手に入れたのだ」
 と言葉せわしく尋ねました。娘はどこまでも真面目《まじめ》で沈《お》ち着《つ》いて返事を致しました――
「いいえ、妾はちっとも気が狂ってはおりませぬ。そして又この書物に書いてある事を疑う心は少しも御座いませぬ。お父様でもお母様でもどなたでも、一度この書物に書いてあるお話しを御聞き遊ばしたならば、矢張《やっぱ》り屹度《きっと》妾と同じように本当に遊ばすに違いありませぬ。でもこの書物には白髪小僧様と、妾の身の上に就《つ》いて、今まであった事や、行く末の事が些《すこ》しも間違いなく委《くわ》しく書いてあるので御座いますもの。ですからこの書物を読みさえすれば妾がどうしてこの書物を手に入れたかという事も、すっかりおわかりになるので御座います。又今から後《のち》白髪小僧様と妾の身の上がどうなって行くかという事も、追々とおわかりになる事と思います」
 皆の者は、聞けば聞く程不思議な話に、驚いた上にも驚いて、開《あ》いた口が塞《ふさ》がりませんでした。
 両親もとうとう思案に余って、とにかくそれでは娘にこの書物を読まして一通り聞いた上で、本当《ほんと》か嘘《うそ》か考えてみようという事に定《き》めました。
 両親の許しを受けて娘が書物を読み初めると、室《へや》中の者は、皆《みんな》水を打ったように森《しん》となりました。只その中で白髪小僧ばかりは何の事やら訳がわからずに大きな眼をパチパチさせながら、娘の美しい声に聞き惚《と》れていましたが、間もなく聞き疲れてしまって、又うとうとと居睡《いねむ》りを初めました。
 お嬢様はそれには構わずに、書物を繰り拡げて高らかに読み初めました。その話しはこうでした。

     二 黒い表紙の書物

 この書物に書いてある事は、世界一の利口者と世界一の馬鹿者との身の上に起った、世界一の不思議な面白いお話しである。
 この話しを読む人は誰もこの中に書いてある事を本当《ほんと》に為《し》ないであろう。皆そんな馬鹿気た不思議な事がこの世の中に在るものかと思うであろう。唯世界一の利口な人と世界一の馬鹿な人だけは、これを本当《ほんと》にして読むのである。今のところそんな人はこの世の中《うち》に唯二人しかいない。その一人はニコニコ王様の長生《ながいき》の乞食の白髪小僧で、今一人はこの国の総理大臣の美留楼《みるろう》公爵の末娘|美留女姫《みるめひめ》である。そうしてこの書物の持ち主は、この書物に書いてある事を、初めからおしまいまで本当《ほんと》にして読む人――つまりこの白髪小僧と美留女姫二人より他には無いのである。
 この書物にはその持ち主が、自分や他人の身の上について知りたいと思う事、又は他《た》の人に知らせたい、話して聞かせたいと思う事が、自由自在に挿《さ》し絵《え》や文字となって現われて来る。今美留女姫は自分がこの書物を手に入れた仔細《わけ》を、両親《ふたおや》やその他の人々に読んで聞かせたいと思っているから、このお話しは先《ま》ず美留女姫の身の上の事から始まらなければならない。
 今この書物を声高らかに読んでいる美留女姫は前にもある通り、この国第一の金持ちで、この国第一の貴《たっと》い役目と身分とを持っている公爵美留楼という人の末娘で、今年十四になったばかりであるが、
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