眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味《い》しくて頬《ほお》ベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、その中《うち》に最前の午寝《ひるね》がまだ足りなかったと見えて、眼を細くして眠《ね》むたそうな顔をしていました。
 大勢の人々は、こんな有り難い賜物《たまもの》を戴《いただ》かぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、呆《あき》れ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様《しよう》としましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆|遣《や》ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこの家《うち》に一生涯養って、どんな贅沢《ぜいたく》でも思う存分|為《さ》せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡《ひるね》をさしてくれた方が余《よ》っ程《ぽど》有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
 とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前《さっき》から椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息《ためいき》をついて考え込んでいた娘は、この時|徐《しず》かに立ち上って清《すず》しい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令《たとい》どんな貴《たっと》い品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。妾《わたし》はその理由《わけ》をよく知っています」
 と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
 と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆|一時《いちどき》に娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠《くちご》もりましたが、とうとう思い切って、
「その訳《わけ》はこの書物にすっかり書いて御座います」
 と云いながら、懐《ふところ》から黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。
「この書物に書いてある事を読んで見ますと、白髪小僧様は今までこの国の人々が見た事も聞いた事もない不思議な国の王様なので御座います。ですからこの世の中でどんなに貴い物を差し上げても、どんなに面白い物を御目にかけても、御喜びになる気遣《きづか》いはあるまいと思います。そうしてそればかりでなく、白髪小僧様が妾《わたし》の命を御助け下さるという事は、ずっと前から定《き》まっていた事で、その証拠にはこの書物には、妾が水に落ちましてから、助けられる迄の事が、ちゃんと書いてあるので御座います。決して御礼を貰おうなどいう卑《さも》しい御心で御助け下さったのでは御座いませぬ」
 と決然《きっぱり》とした言葉で申しました。
 両親は云うに及ばず、大勢の人々もこの娘の不思議な言葉に、心の底から驚いてしまって、暫《しばら》くはぼんやりと娘の顔と白髪小僧の顔とを見比べていましたが、何しろあんまり不思議な話しで、どうも本当《ほんと》らしくない事ですから、父様は頭を左右に振りながら――
「これ娘、お前は本気でそんな事を云うのか。私はどうしてもお前の話しを本当《ほんと》にする事は出来ない。一体お前はどこでそんな奇妙な書物を手に入れたのだ」
 と言葉せわしく尋ねました。娘はどこまでも真面目《まじめ》で沈《お》ち着《つ》いて返事を致しました――
「いいえ、妾はちっとも気が狂ってはおりませぬ。そして又この書物に書いてある事を疑う心は少しも御座いませぬ。お父様でもお母様でもどなたでも、一度この書物に書いてあるお話しを御聞き遊ばしたならば、矢張《やっぱ》り屹度《きっと》妾と同じように本当に遊ばすに違いありませぬ。でもこの書物には白髪小僧様と、妾の身の上に就《つ》いて、今まであった事や、行く末の事が些《すこ》しも間違いなく委《くわ》しく書いてあるので御座いますもの。ですからこの書物を読みさえすれば妾がどうしてこの書物を手に入れたかという事も、すっかりおわかりになるので御座います。又今から後《のち》白髪小僧様と妾の身の上がどうなって行くかという事も、追々とおわかりにな
前へ 次へ
全56ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング