を見つめておりますと、間もなく窓からそっと顔を出して中の様子を見た人がありました。それが青眼先生、貴方でした」
「あっ。それではあの時貴女は戸棚の中から見ておいでになりましたか」
と青眼先生は呼吸《いき》を機《はず》ませて尋ねました。
「けれどもその時の恐ろしかった事。扨《さて》は青眼先生はいよいよ妾がこの家に居る事がおわかりになって、この間の夢の中で銀杏の葉の袋を切り破った時と同じように、妾を矢張り悪魔と思って、殺しにおいでになったに違いない。それにしても青眼先生は、あの寝床の中の美紅を妾と思ってお出でになるのであろうか。それとも妾がここに隠れているのを御存じなのであろうか。どちらを御殺しになるであろうと、息を殺して震えながら見ておりました」
「噫《ああ》。私はあの時|寝台《ねだい》の中の女を悪魔だと思い込んで殺したので御座いました。この国の秘密を守るため。王様のため。国のため」
と青眼先生は吾れを忘れて叫びました。
「ハイ。けれどもそれは大変な間違いで御座いました。貴方が悪魔と思ってお殺しになった女は、悪魔でも何でもない美紅姫で、かく云う妾こそ悪魔で御座いました。妾はその時から美紅姫では御座いませんでした」
「エ。エ。エ」
と青眼先生はよろよろとあと退《しざ》りをして、屹《きっ》と身構えをして女王の顔を穴の明く程見詰めました――
「女王様。貴女は本当に気がお狂い遊ばしたので御座いますか」
「イエイエ。少しも狂いませぬ。又嘘も申しませぬ。妾こそ悪魔で御座いました。美紅姫にそっくりそのままの姿をした悪魔で御座いました」
「ウーム」
と青眼先生が両方の手を石のように握り固めながら、女王の顔を睨み詰めますと、室《へや》の外の紅木大臣も、思わず刀の柄に手をかけて身構えました。けれども女王は騒ぎませんでした。落ち付いて床の上に座ったまま、青眼先生の顔を仰いで話しを続けました――
「御疑いになるのも御尤《ごもっと》もで御座います。本当は妾もまだその時の疑いが晴れませぬ。ですからこのように打ち明けてお話しをするので御座います。本当の事を申しますと、妾はあの時貴方にあの毒薬を注ぎかけられて、氷になってしまった方が仕合わせで御座いました。なまじいに生き残ったために、妾は悪魔に魅入られた女になってしまいました。
あの時あの少女が悪魔と呼ばれて眼をさまして、『妾は美紅です。この家の娘です』と叫ぶ間もなく、青眼先生から毒薬を注ぎかけられてたおれました時、妾は自分の身体《からだ》の血が凍ったように思って、心も身体《からだ》も一所に消え失せたと思いました。けれども間もなく又ふっと気が付きますと、不思議やその時妾の心は、今までとすっかり違って、世にも恐ろしい女の心と入れかわっておりました。妾はその時から今朝《けさ》まで、美紅姫でも何でもない――多留美という湖の近くに住む、藻取という者の娘で、美留藻《みるも》という女――美紅姫と同じように夢の中で美留女姫となって、白髪小僧と一所に銀杏の葉に書いた石神のお話を読んだ女――湖の底に鏡を取りに行ったまま、行衛《ゆくえ》知れずになった女そのままの美留藻になっておりました。そしてそれと一所に、妾はたった今まで美紅姫であった事を忘れてしまって、貴方が美紅姫の死骸を残して、窓から出てお出でになると直ぐに、戸棚の扉を開いて外に出まして、眼の前の寝台の上に横たわっている、美紅姫の氷の死骸を見ると、思わず莞爾《にっこり》と笑いました。そして先ずこれで美紅は死んだ。あとは明日《あす》のお眼見得の式で濃紅姫に勝ちさえすれば、妾は間違いなく女王になれると思いました。
青眼先生。妾は全く恐ろしい女で御座いました。悪魔よりももっと無慈悲な女で御座いました。初め妾が夢の中で美留女でいる時に、銀杏の根元で拾った書物《かきもの》に、妾が女王になった挿し絵があるのを見ますと、妾は急に女王になりたくなりました。それと一所に石神のお話の続きも見とう御座いました。つまり夢の中で見た美留女姫の心を、眼が覚めてからも忘れる事が出来なかったので御座います。そうして眼が覚めて後《のち》赤い鸚鵡だの、宝蛇だの、水底《みずそこ》の鏡だのを見ますと、いよいよあの夢は本当の事に違いないと思いまして、どんな事をしても構わないから、あの夢の通りに自分の身の上をして仕舞おうと思いました。それから妾は親を棄て、夫を捨てて只一人、女王になるために都に向いました。
妾はそれから女王になるためにいろいろな悪い事を致しました。
青眼先生。この間紅矢様が大怪我をなすった時、初めに先生が御覧になった紅矢様は、本当の紅矢様では御座いませぬ。妾が紅矢様の馬と着物を詐欺《かた》り取って、紅矢様に化けて来ていたので御座います。それから二度目の時は、妾が『瞬』に乗って、紅矢様のお
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