て、迚《とて》もこんな塩梅《あんばい》では一生涯面白い珍らしい話を聞く事は出来ないであろう。彼《か》の赤|鸚鵡《おうむ》は嘘を吐《つ》いたのか知らん。もし本当にこれから一ツも新しいお話を聞く事が出来なければ、もう一生涯何の楽しみも無くなってしまったのだから、死んだ方がいくら良《い》いか知れない。噫《ああ》、情ない事になった。詰《つま》らない事になったと、しくしく泣きながら、街外れの只《と》ある河岸まで来るともなく歩いて来ると、そこに立っている大きな銀杏《いちょう》の樹の根元に腰をかけて、疲れた足を休めようとした。けれどもまだ腰をかけぬ前に姫はその銀杏の樹の根元に思いがけないものを見つけて、忽《たちま》ち躍《おど》り上らんばかりに喜んだ。その時姫が見付けたのがこの白髪小僧と題した不思議なお話の書物であった。
姫はこの書物が、竜《りゅう》のようにうねった銀杏の樹の根本に乗っているのを見つけると直ぐに、この書物こそ自分が今まで一度も見た事のない書物だと思って、思わず駆《か》け寄って手に取ろうとしたが、又ハッと気が付いて立ち止まった。見れば大分古びた書物のようだから、これは屹度《きっと》誰かがここに置き忘れて行ったものに違いない。して見ればこれを黙って開いて見るのは泥棒と同じ事だと思って、出しかけた手を引っこめた。
姫は折角こんな有り難い事に出くわしながら、指一本指す事も出来ず、持ち主の来るのを待っていなくてはならぬのが、自烈度《じれった》くて堪《たま》らなかった。早く持ち主が来てくれればいい。そうして自分にこの書物を貸してくれればいいと、足摺りをして立っていた。けれどもどういうものか、持ち主は愚《おろ》か人間らしいものは一人も遣って来ないで、その代りに空から銀杏の葉が黄金《こがね》の雪のようにチラチラと降って来て、書物のまわりに次第次第に高く積りはじめた。そうしてその黒い表紙がだんだんと見えなくなって、もうあと一二枚落ちるとすっかり銀杏の葉で隠れてしまいそうになると、最前《さっき》から我慢の出来るだけ我慢をしていた姫は、もう堪《たま》らなくなって、我れ知らず傍に走り寄って、銀杏の葉を掻《か》き除《の》けて書物を拾い上げて、表紙を一枚夢中でめくって見た。
すると姫は又もやそこに夢ではないかと思う程不思議なものを見つけた。その初めの処にはっきりとした文字で『白髪小僧と美
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