ら》で、鬚《ひげ》だらけの顔を撫で上げて汗を拭こうとした。
 しかし彼はモウ汗も出ないほど青褪《あおざ》め切っていた。
 その薄黒い、落ち窪んだ両眼は、老人のように白々と弱り込んで、唇が紙のように干乾《ひから》びていた。その額と頬は、僅かの間に生命《いのち》を削り取られたかのように蒼白く骨張って、力ない皺の波が、彫刻のようにコビリ付いていた。……が……そうした死人じみた片頬に、弱々しい、泣き笑いじみた表情をビクビクさせると、彼は仁王立《におうだ》ちに突立ったまま、鼻の先の空間に眼を据えた。
 咽喉《のど》の奥をゼイゼイと鳴らした。
「……オレは……オレは……ちっとも怖くないんだぞ……畜生。コレ位の事は平気なんだぞ……エヘ……エヘ……」
 そう云ううちに彼は力が尽きたらしくガックリと低頭《うなだ》れた。タッタ今、自分が成し遂げた最大、最高の仕事を、振り返り振り返り、懐中《ふところ》のマキリを押えながら、ヒョロヒョロと出て行った。
 彼の背後《うしろ》から静かに静かに閉まって行った重たい扉《とびら》が、忽ち、轟然《ごうぜん》たる大音響を立てて、深夜の大邸宅にどよめき渡りつつ消え失せた。


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