》の西洋枕の上に横たえている西洋人の女の児であった。年頃はよくわからないが、恐らくこの部屋中のどの人形よりも端麗な、神々しい眼鼻立ちであったろう。額《ひたい》と鼻筋のすきとおった……眉の長い、睫《まつげ》の濃い、花びらのように頬を紅くした寝顔が、あどけなく開《あ》いた小さな唇から、キレイな乳歯をあらわしながら、こころもちこっち向きに傾いているのであった。
 その枕元には萎《しお》れた秋草の花束と、二三冊の絵本と、明日《あす》のおめざ[#「おめざ」に傍点]らしい西洋菓子が二つ、白紙に包んで置いてあった。そうしてその寝台の裾《すそ》の床の上には、少女よりも心持ち大きいかと思われる棕梠《しゅろ》の毛製の熊が一匹、少女の眠りを守護《まも》るかのように、黒い、ビックリした瞳《め》を見開きながら、寝台に倚《よ》りかかって坐っているのであった。
 ……人形じゃねえぞ……これは……。
 彼は息を殺して固くなった。
 彼は脚下の熊とおなじように、両眼をマン丸く見開きながら、なおも一心に寝台の中を覗き込んだ。今にも眼の前の少女が大きな寝息をしそうに思われたので……そうしてパッチリと青い眼を見開いて、彼を見上げそうな気がしたので……。
 部屋の中の何もかもが、彼の耳の中でシンカンと静まり返った。
 少女の寝息とも……牛乳の香気《におい》とも……萎れた花の吐息《といき》ともつかぬ、なつかしい、甘ったるい匂いが、又もホノボノと黄絹の帷帳の中から迷い出して来た。

 ……突然……彼はブルブルと身震いをした。
 この一箇月の間じゅう、彼の全身に渦巻き、みちみちて来たアラユル戦慄的なものが、その甘ったるい芳香《におい》の中で、一斉に喚《よ》び醒《さ》まされたのであった。その中からモウ一つ更に、極度の惨烈さにまで尖鋭化され、変態化され、猟奇化されて来た或るものが、トテモ抵抗出来そうにない、最後的の威力をもってモリモリと爆発しかけて来たのであった。
 ……コンナ機会《やま》は二度とねえんだぞ……しかも相手は毛唐《けとう》の娘じゃないか……構う事はねえ……やっつけろ……やっつけろ……。
 と絶叫しながら……。
 彼は今一度ブルブルと身震いをした。鮮やかな空色と、血紅色と、黒色の稜角《りょうかく》を、花型に織り出した露西亜絨氈の一角に、泥足のままスックリと立ち上った。右手に持ったマキリを赤い光線に透かしてみると、眼と口を真白く見開いて、声のない高笑いを笑いながら、おもむろに仄暗い丸天井を仰ぎ見た。
 それはさながらに鉄の檻《おり》を出た狂人の表情であった。
 彼は何の躊躇もなく悠々と寝台に近寄って、薄い黄絹を引き捲くった。白いレエスに包まれている少女の、透きとおった首筋の向う側に、イキナリ右手のマキリを差し廻わしながら、左手でソロソロと緞子の羽根布団をめくった。同時にモウ一度、彼独特の物凄い笑いを、顔面に痙攣《ひきつ》らせた。
「……エヘ……エヘ……声を立てる間《ま》はねえんだよ。ええかねお嬢さん。温柔《おとな》しく夢を見ているんだよ……ウフウフ……」
 それから返り血を避けるべく、羽根布団を引き上げながら、すこしばかり身を背向けた。……すると……そうした気持ちにふさわしくそこいら中がモウ一度、彼の耳の中でシンカンとなった。

 ……その一刹那であった。
 少女の枕元に当る大きな硝子《ガラス》窓の向うを、何かしら青白いものが、一直線にスウーと横切《よぎ》って行った。
 彼はハッとしてその方向を見た。少女の首筋からマキリを遠ざけながら首を伸ばした。
 ……今まで気が付かなかったが、薄い黄絹の帷越《とばりご》しによく見ると、窓の外は一パイの星空であった。今の青白い直線は、その星の中の一つが飛び失せたものに相違なかった。それに連れて……やはり今まで気が付かなかった事であるが、どこか遠く遠くの海岸に打ち寄せるらしい深夜の潮の音が、微《かす》かに微かに硝子窓越しに聞えて来るのであった。それは、おおかた彼自身が、知らず知らずのうちに高い処へ来ていたせいであったろう……。
 彼は緊張し切った態度のまま、その音に耳を澄ました。それから、やはりシッカリした身構えのうちに少女の寝顔と、右手のマキリを見比べた。
 部屋の中に漾《ただよ》うている桃色の光りを白眼《にら》みまわした。
 その光りが淀《よど》ませている薄赤い暗がりの四方八方から、彼に微笑《ほほえ》みかけている、あらゆる愛くるしい瞳《め》と、唇の一つ一つを念入りに眺めまわしているうちに、又もギックリと振り返って、窓の外の暗黒を凝視した。
 ……その時に又一つ……。
 ……ハッキリと星が飛んだ……。
 ……銀色の尾を細長く引いて……。
 彼は愕然《がくぜん》となった。魘《おび》えたゴリラのように身構えをし直して、少女の顔を振り返っ
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