の努力を、彼一人に集中させているのであった。
そればかりでない。
虎蔵の強盗時代の仕事ぶりは「ハヤテの虎」とか「カン虎」とかいう綽名《あだな》と一緒に、ズット以前から、世間の評判になっていた。
綽名の通りカンの強い彼は、脅迫《おどし》のために人を傷《きずつ》ける場合でも、決して生命《いのち》を取るようなヘマをやらないのを一つの誇りにしていた。……のみならず彼は仕事をした界隈《かいわい》で、決して女にかからなかった。遥かの遠い地方に飛んで、絶対安全の見込みが付いた上でなければ、ドンナ事があっても酒と女を近付けなかった。そうして蓄積した不眠不休の精力とすばらしい溜《た》め喰《ぐ》いと、無敵の健脚を利用した逃走力でもって、到る処の警戒線を嘲弄《ちょうろう》し、面喰らわせるのを、一本|槍《やり》の逃走戦術にして来たものであった。
だからその虎蔵が、久し振りにその筋の手にあがると間もなく、網走の監獄を破って逃走したという一事は、全国のセンセーションを捲き起すのに十分であった。況《いわ》んや、それが一箇月もの永い間、縛《ばく》に就《つ》かない事が一般に知れ渡ってしまった今日、結局……「虎蔵が北海道を出ないうちに捕まるか、捕まらないか」という問題が、全国の紙面に戦慄的な興味を渦巻かせているのは当然であった。
そればかりでない。
今度の脱獄後の彼は、どこまでも囚人服を着換えなかった。到る処で彼自身に相違ない事を名乗り上げながら仕事をして来た。そうした方が脅喝《きょうかつ》に有利であったばかりでなく、そこを目星にして集中して来るその筋の手配りを、引外《ひきはず》し引外し仕事をした方が、遥かに安全である事を幾度となく、事実上に証拠立てて来たものであった。
……俺は普通《ただ》の強盗とは違うんだぞ。そのうちにタッタ一つ大きな仕事をして、大威張りで北海道を脱け出すまでは、ケチな金や、ハシタ女《め》には眼もくれないんだぞ……。
といったような彼一流のプライドを、そうした仕事ぶりの到る処に閃《ひら》めかして来たことは云うまでもない。
……とはいえ……虎蔵のこうした精力の鬱積が、今度の脱獄後に限って、異常な影響を彼の仕事振りに及ぼして来た事実だけは、流石《さすが》の虎蔵も自覚していなかった。それはその脱獄当時に、一人の老看守の頭を、彼自身の手でタタキ割った一|刹那《せつな》から
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