る半日の暮れつ方まで、われは只管《ひたすら》に恍惚として夢の中なる夢の醒めたる心地となり、何事も手に附かず、夕餉《ゆふげ》の支度するも倦《ものう》く、方丈の中央《まんなか》に仰向《あふの》きに寝《い》ね伸びて、眠るともなく醒むるとも無くて在りしが、扨《さて》、夜に入りて雨の音しめやかに、谷川の水音|弥増《いやまさ》るを聞くに付け、世にも不思議なる身の運命、やう/\に思ひ出でられつ。床に入りても眼《まなこ》、冴え/″\として眠むられず。
眠むられぬまゝに思ふやう。神も仏も在《ま》しまさぬ此世に善悪のけぢめ求むべき様なし。たゞ現世の快楽《けらく》のみこそ真実ならめ。人の怨み、誹《そし》りなぞ、たゞ過ぎ行く風の如く、漂ふ波にかも似たり。人間万事あとかたも無きものとこそ思ひ悟りて、腕にまかせ、心に任せて思はぬ快楽《けらく》を重ね来りしわれなりしか。その行末の楽しみの相手なりし者を討ち果したらむ今は、わが身に添ひたる、もろ/\の大千世界を打ち消して涯てしも無き虚空に、さまよひ出でし心地しつ。明日よりは何を張合《はりあひ》に生きむと思へば、世にも哀れなるわが姿の、今更のやうに面影に立つさへ可笑し
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