つゝ乱るゝ黒髪、颯《さつ》と振り上げて左右を見まはすうち、魂切《たまぎ》る如き声を立てゝ何やら叫び出《いだ》せば、海を囲《かこ》める数万の群集、俄《にはか》にピツタリと鳴りを静め、稲佐の岸打つ漣の音。大文字山を越ゆる松風の音までも気を呑み、声を呑むばかりなり。
「皆様……お聞き下さりませ。
わたくしは此の長崎で皆様の御ひいきを受けました初花楼の初花と申す賤しい女で御座りまする。
今年の今月今日、十六歳で生命《いのち》を終りまする前に、今までの御ひいきの御礼を皆様に申上げまする。
なれども私は亡きあとにて皆様の御弔ひを受けやうとは存じませぬ。たとひ、どのやうな悪道、魔道に墜《お》ちませうとも此の怨みを晴らさうと存じまする。
皆様お聞き下されませ。
わたくしは切支丹ゆゑに殺されるのでは御座いませぬ。大恩ある母上様を初め、御いつくしみ深い御楼主様、鴇母様《おばしやま》、新造様《あねしやま》までも皆、お役人衆のお憎しみの為めに、かやうに磔刑《はりつけ》にされるので御座りまする。
私は日本《ひのもと》の女で御座りまする。父母《ちゝはゝ》に背《そむ》かせ、天子様に反《そむ》かせる異人の教へは受けませぬ。タツタ一人……タツタ一人の母様《かゝしやま》の御病気を治療《ような》し度いばつかりに、身を売りましたのが仇になつて……そこにお出でになる御役人|衆《しゆ》のお言葉に靡きませなんだばつかりに……かやうに日の本の恥を、外《と》つ国《くに》までも晒すやうな……不忠、不孝なわたくし……」
苦痛の為にかありけむ。初花の言葉は此処にて切れ/″\に乱れ途切れぬ。
石の如くなりて聞き居りし役人|輩《ども》は此時、俄かに周章狼狽し初めたるが、そが中にも、罪状を読み上げたりし陣羽織の一人は、采配持つ手もわなゝきつゝ立上り、
「それ非人|輩《ども》……先づ其の女から」
と指図すれば「あつ」と答へし憎くさげなる非人二人、初花の磔刑柱《はりつけばしら》の下に走り寄り、槍を打ち合はする暇もなく白無垢の両の脇下より、すぶり/\と刺し貫けば鮮血さつと迸り流るゝ様、見る眼も眩《くら》めくばかり、力余りし槍の穂先は両肩より白く輝き抜け出でぬ。
あはれ初花は全く身に大波を打たせ、乱髪を逆立《さかだ》たせ渦巻かする大苦悶、大叫喚のうちに、
「……母《かゝ》しやま……済みませぬツ」
と云ふ。その言葉の終りは唐紅《からくれなゐ》の血となりて初花の鼻と唇より迸り出づる。
続いて残る九人の生命《いのち》が相次ぎて磔刑柱《はりつけばしら》の上に消え行く光景《ありさま》を、眼も離さず見居りたるわれは、思はず総身水の如くなりて、身ぶるひ、胴ぶるひ得堪へむ術《すべ》もあらず。わなゝく指にて裾を紮《から》げ、手拭もて鉢巻し、脇差の下緒《さげを》にて襷《たすき》十字に綾取る間もあらせず。腕におぼえの直江志津を抜き放ち、眼の前なる青竹の矢来を戞矢《かつ》々々と斬り払ひて警固のたゞ中に躍り込み、
「初花の怨み。思ひ知れやつ」
と叫ぶうち手近き役人を二三人、抜き合せもせず斬伏《きりふ》せぬ。
素破《すは》。狼藉よ。乱心者よと押取《おつと》り囲む毬棒《いがばう》、刺叉《さすまた》を物ともせず。血振ひしたるわれは大刀を上段に、小刀を下段に構へて嘲《あざ》み笑ひつ、
「やおれ役人|輩《ども》。よつく承れ。
役人の無道を咎むる者無きを泰平の御代とばし思ひ居るか。かほどの無道の磔刑《はりつけ》を、怨み悪《にく》む者一人も無しとばし思ひ居るか。
われこそは生肝取りの片面鬼三郎よ。汝等が要らざる詮議立てして、罪も無き罪人を作る閑暇《ひま》に、わが如き大悪人を見逃がしたる報いは覿面《てきめん》。今日、此のところに現はれ出でたる者ぞ。これ見よやつ」
と叫ぶとひとしく名作、直江志津の大小の斬れ味鮮やかに、群がり立つたる槍襖《やりぶすま》を戞矢《かつし》々々と斬り払ひ、手向ふ捕手《とりて》役人を当るに任せて擲《なぐ》り斬り、或は海へ逐《お》ひ込み、又は竹|矢来《やらい》へ突込みつゝ、海水を朱《あけ》に染めて闘へば、四面数万の見物人は鯨波《げいは》を作つて動揺《どよ》めき渡る。さて逃ぐる者は逃ぐるに任せつつ、死骸狼藉たる無人の刑場を見まはし、片隅に取り残されたる手桶|柄杓《ひしやく》を取り上げ、初花の磔刑柱《はりつけばしら》の下に進み寄りて心静かに跪き礼拝しつ。
「やよ。初花どの。霊あらば聞き給へ。御身の悪念は此の片面鬼三郎が受継ぎたり。今の世の悪念は後の世の正道たるべし。痛はしき母上の御霊《みたま》と共に、心安く極楽とやらむへ行き給へ。南無幽霊頓性菩提」
と念じ終つて柄杓の水を、血にまみれたる初花の総身に幾杯となく浴びするに、数万の群集の鬨《とき》を作つて湧き返る声、四面の山々も浮き上るばか
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