している。
 その曲の最もありふれた形式の一つを挙ぐれば、先ず日常生活に原因する悲劇的場面から初まって、その悲劇の主人公が次第に狂的、超人的な心理状態に入る。同時にその言、意味のある普通の文句から、次第に無意味な詩歌的気分と音調とを帯びて来る。その気分を数名の合唱隊が受けて謡う。それに連れて主人公が舞い出す。
 かようにして舞台面の気持はやがて散文も詩も通り越し、劇も身ぶりも、当て振りも、情緒や風趣をあらわす舞も、グングンと超越して、全然無意味な、気分も情緒も何もない、ただ、能としての最高潮の美をあらわす笛の舞に入る。その時に謡が美しく行き詰まりつつ消えて行く。
 この笛の舞は、よほど能の好きな人でもわからない退屈なものと見倣されている。それほど高い芸術価値を持っているものである。
 すなわち能は、まず現実世界の人間に、分り易い簡単な劇を選み出して見せる。そうして観衆の頭を引き付けておいて、その中から気分と意味とを取り交ぜた舞踊を抽出して見せる。それから最後に、無意味な、無気分な、只美しい、品のいい、音と形ばかりの、笛の舞の世界をあらわして最高の芸術愛好者を酔わせて了《しま》うのである
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