たく云えば観衆は、何も舞手に山の方向や形状を教えてもらわなくてもいいので、そんなものが実在していない事は皆知っている。指したとてその方をふり返るものは一人も居ない。それよりも、その舞手が山に対した気持を如何に描きあらわすか……はるかに山に対した人間の詩的情緒を、如何なる姿態美の律動によって高潮させつつ表現するかを玩味すべくあくがれ待っているので、その美的律動に共鳴して演者の美的主観と自分の主観とを冥合させ、向上させ、超越さすべく、あくがれ望んでいる……数百千の観衆が息を凝らしている……型の種類なぞは寧ろどうでもよろしい。期待するところはその演者の情緒の律動的表現から来る霊感である……というのが見物の心であると同時に舞手の心に外ならぬのである。
だから、もっと進歩した表現になると、只一歩不動の姿勢のまま進み出ただけで、あらゆる心持があらわされ得る事になる。否。更にもっと進んだ型になると、突立ったまま、もしくは座ったまま全く動かなくともいいことになるので、現に能の中には、そうした無所作の所作ともいうべき型によって、格外の風趣を首肯させて行くところが非常に多い。
又節調の例で云えばシオリ
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