ぐらい迄の間ではないかと思われる。無論能の研究は一代がかりどころではない。今日の能と雖《いえど》も、まだ甚しい未成品に相違ないので、行き止まりは絶対にないのであるが、ここに云うのは天才児が能―芸術、人生―霊というものに根本的に疑いをいだき、結局、本当に能の精神を理解して、自己の本来の面目にドカンとブツカリ得る時期を云うので、しかも、それは一般の少年少女が「世界苦」を懐《いだ》いて憂悶、焦慮する時期と一致している筈と思われるから、斯《か》く推定するのである。
 いずれにしてもその第二代の養子はかくして、第一代の家元がタッタ一人で相手なしに研究し向上して来た境域にまで、比較的若いうちに達する事が出来る。それは勿論その養父たる家元の鞭撻《べんたつ》指導の御蔭に相違ないのであるが、その時には、前に述べた芸の恩というものが、自分の嘗《な》めた苦心によってその養子の骨の髄にまで徹していると同時に、その養子は相伝された型を、養父家元の真似でなく、全然自分の本来の面目として表現し得る迄になっているので、その間にすこしの模倣も迷信もない。そうして更にその以上に自己の表現を洗練しよう……即ち自流の能楽の境
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