ある。
 能楽では、何万という登場者があるべき舞台面を僅かに二人か三人で片付ける事が珍らしくない。そうしてその何万という群集の感じは演者の表現力……逆に云えば観客の芸術的直感力に訴えて現実以上に印象深く描き表わされるので、受ける感じの美くしさも亦幾層倍するのである。すなわち現実に何万人を並べた感じは、見物に客観的な事実感を与えるだけの力しかないが、それが舞い手……殊に仮面の舞台効果(面《おもて》のこうした不可思議な且つ偉大な表現力がどこから生れて来るか……という事は後に述べる)によって描きあらわされると、それだけの人間が居る気分、もしくは情緒だけが観客に受け取られるばかりで、そんな夥しい実在物の息苦しい、重々しい、且つ間の抜けた感じは絶対に受けない事になるのである。
 現在の能で最も出演者の多いのは十四五名であるが、これは特別で、普通は五六名以下である。その中で見た眼に感銘が深く、演る方も気が乗って緊張した舞台面を作り得るのは二人切りのもので、曲そのものもよく出来ているのが多いし、曲の数も亦|些《すくな》くない。
 その出演者は、主演者一人(シテ)、主演者補助一人又は数人(シテツレ)、
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