かドウかわからぬが、この頃の新しい劇で背景を白と黒の線、又は単純色幕の組合わせで感じだけ扱って行く研究が行われているとか聞いた。多分西洋の事と思うが、それでもその背景の感じを活《い》かすのがその出演者の腕一つである事は云う迄もない。
 こうした出演者の表現能力のみをもって舞台面を一パイにして行く行き方に、日本では所作事式のものが色々ある。中には背景の代りに合唱隊や、囃方が、むき出しに並んでいるのもあるが、そんなものは出演者の表現力に掻き消されて、チットモ邪魔にならない。のみならずその合唱隊や囃子方の揃った服装や、気合い揃った動きは、気分的に厳粛な背景を作って、演舞者の所作があらわす気分を、弥《いや》が上にも引っ立てて行く。観客の観賞心理を深め、陶酔気分を高めて、純乎たる芸術の世界まで観客の頭を高めて行く。
 そのようなものを見る観客のアタマは、写実一方の舞台に感心する観衆のソレよりも遥かに進歩している。芸術的に洗練、純化されている。それは人の好き好きで、どちらが高いの低いのというのは間違っているという意見も時々聞くが、芝居好きになればなる程、背景や所作の写実的なのが低級なものに感ぜられ
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