を読み終られたならば、筆者の真意の存するところを諒とせらるるであろう。

     能という名前

「能」を説明しようとする劈頭《へきとう》第一に「能」という言葉の註釈からして行き詰まらねばならぬ。
「能」という言葉自身は支那語の発音で、才能、天性、効力、作用、内的潜在力、などいう色々な意味が含まれているようである。しかしそんなものの美的表現と註釈しても、あまりに抽象的な、漠然たる感じで、あの松の絵を背景とした舞台面で行われる「お能」の感じとピッタリしない。「仮面と装束を中心生命とする綜合芸術」と註釈しても、何だか外国語を直訳したようで、日本の檜《ひのき》舞台で行われる、実物のお能の感じがない。とはいえ「能」は事実上そんな物には違いないのであるが、云わば、そんなものを煎じ詰めて、ランビキにかけた精髄で、火を点《つ》ければ痕跡も止めず燃えてしまうようなものである。その感じ、もしくは、そのあらわれを「能」と名付けた……とでも云うよりほかに云いようがないであろう。
 別の方面から考えるとコンナ事も云える。人間の仕事もしくは動作は数限りない。歩く。走る。漕ぐ。押す。引く。馬に乗る。物を投げる。
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