就いて最後の断定を与え、流儀の向上普及、堕落防止に努め、傍ら装束、仮面等を手入れ新調しつつ、能楽の向上研成を期せねばならぬ。
 こう説明して来ると家元というものはなかなか大変なもので、生やさしい人物がなれるものでない。最高級の芸術家と、政治家と、興行家とを兼ねたような仕事が、実際上一人で兼ねられるものか知らんと思う人もあるらしいが、実際上出来ても出来なくても、能楽の家元となった以上そうしなければならぬ理由がある。
 元来能楽の家元というものは、政治や何かの方で云う大統領とか、首相とか、親分《ボス》なぞいう実世間的な仕事をするものと違って、自流の芸術的主張を維持し研成する任務を持っている、芸術本位の世界の中心人物である。
 ところで、政治や何かだと代議制度とか、共和制度とかでやって行けるかも知れないが、芸術の世界はそうは行かない。家元が自身鍛練した芸風によって、自流の世界を統一薫化すると同時に、他流の世界と闘って自流の流是を貫いて行かねばならぬ。だから、家元ばかりはドンナ事があっても衣食に困らないようにして、芸道の研究に生涯を捧げ、時流に媚びず、批評家に過《あや》またれず、一意専心、自己の信念に向って精進せねばならぬ。
 家元は自己の芸が能楽の向上進化の中心線に合致していると信ずる以上、自己の演出が天下一般に理解されなくともよい。自他の流儀の玄人、素人に笑われてもよい。自流の最上級の二三人に理解されるだけでよい。否、時としてはそのような人間最高の理解さえも求めずに、一意信念に向って邁進しなければならぬ。一切の他人から下手とか邪道とか認められて、自流の権威が地に堕ちても構わぬ決心さえ必要である。
 実際そのような高級な芸術家が昔居たらしいが、後世からはなかなかわからない。
 しかし普通の場合は家元の芸のよしあしに伴って流儀が盛衰興亡するのが原則となっていると同時に、自分の芸を中心とした弟子を養ったり、宣伝をしたり、家元としての体面を保ったり、交際を広めたりしなければ、その流儀は世俗の軽蔑を受けることになる。極めて上流の生活を営みつつ、所謂親分の仕事をやって行かねば結局喰えない事になる。
 芸というものは人間の仕事として最後のもので、無用の閑事業中の無用の閑事業である。その中でも亦、最高第一等の閑事業と見られている能……非常に尨大で、しかも娯楽的の実用価値さえも含まぬと考
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