《かんさく》を立て直しつつ、お客の株を売ったり買ったりして、悪銭をカスッている事が私によくわかった。あんなに苦心して危険な銭《ぜに》を掴んで、火の車に油を指し指しして行くのがこの叔父の一生かと思うと、いつも薄笑いが腹の底から浮かみ上って来た。いっその事、死んだ親父の遺言通りに、この叔父の禿げた脳天をタタキ破ってやった方が功徳《くどく》になりはしまいか……なぞと考えた事もあった。
 けれども店を仕舞《しま》うと同時に、私はそんな事をキレイに忘れて終《しま》うのが常であった。そうして鼻歌を唄い唄い二階に上って、煙草の烟《けむり》と、小説と雑誌と、キネマの筋書の世界に寝ころんだ。活動も時々見た。
 私は十円に満足していた。

 ところが、こうした私の電話に対する特別の能力が、とうとう外に顕われる時機が来た。
 それは私が十七の年であったと思うから大正十年頃の事である。青木の店員が一気に読み上げる前場《ぜんば》の数字の中で、製糖関係の株が一斉に二分|乃至《ないし》五分方の暴落をしているのにビックリしながら鉛筆を走らせていると、どこから混線して来たものか、以前に声の調子を聞き覚えていた叔父の知人
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