けど、この時ばかりは何故かしら特別のような気がした。……今から思うとこの時が私の思春期に入り初めで、同時にこの時こそ生涯の呪われ初めであったかも知れない。ちょうど昔の伝説の美しい悪魔から霊魂《たましい》を吸い取られる時のように、何ともいえず胸がドキドキして、顔がポッポとなって、気まりが悪るくてしようがなかったので、吾れ知らずうつむきながらソーッと上目《うわめ》づかいに見ていたように思う。
 しかし叔父は、そんな事には気付かなかったらしく、グングンと私の手を引っぱって電話機の横の扉《と》を開くと、その外にある狭い板張りの横手から暗い階段を昇って、店の真上に在る二階に出た。そこは一方が押入れになっている天井の低い八畳位の北向きの室《へや》で、取引所前の往来を見下した高さ四尺位の横一文字の一方窓に、真赤に錆びた鉄の棒と磨硝子《すりガラス》の障子が並んでいたが、そこからさし込む往来の照り返しで、室の中は息苦しい程蒸し暑かった。真黒い天井からブラ下がった十|燭《しょく》の電球は蠅《はえ》の糞《ふん》で白茶気《しらちゃけ》ていた。その下の畳はブクブクに膨れて、何ともいえない噎《む》せっぽい悪臭を放
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