って、傲然《ごうぜん》と私を睨み下しているのに気が付いて、又もビックリさせられた。しかし怖い事はちっともなかった。そうしてコンナ楽書きを勝手にしていいのか知らん……なぞと考えながら、壁に描かれている変テコな絵や文字を、一つ一つに見まわしていた。
 その間に叔父は、クルリと私に背中を向けて、サッサと階段を降りて行った。……と思うと、もう麦稈帽《むぎわらぼう》を頭に乗っけて、夕日のカンカン照る往来に出て行った。私はその眩《まぶ》しいうしろ姿を見送りながら、
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 ……やっぱし叔父は悪魔だったのかな。あの頭の真ン中のツルツル光っている処を、鉄鎚でコツンとやっても構わないのかナ……。
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 なぞと、ボンヤリ考えていた。

 叔父は毎朝八時半頃から店に出て来た。そうして肥った身体《からだ》を自分の椅子に詰め込んで、新聞を読んだり、手紙を書いたりしたあとは、入れ代り立ち代り電話をかけて来るお客や、店に押しかけてくる椋鳥《むくどり》連に向って、トテモ景気のいい……その癖、子供の私が聞いても冷汗の出るような嘘八百を並べては高笑いをするのが仕事の大部分であった。十分ばかり前に来たお客にむりやり[#「むりやり」に傍点]に売らせた品物を、その次に来たお客に押し付けて買わせているような事がショッチュウであった。そのお客というのは、叔父が毎晩行く飯屋だの、宿屋だの、又は停車場の待合室や、旅行中の汽車で知り合いになった連中で大部分で、その中《うち》でも一番よけいに来るのは、叔父の上花客《じょうとくい》になっている田舎の田地持ちである事が、言葉の端々《はしはし》でよくわかった。中には叔父と花を引いて負けた金《かね》の埋合わせをしに来る馬鹿者も、チョイチョイ交っているようであったが、そんなのに対しては、特別に景気のいい話と高笑いを浴びせかけて、取っときの智慧を授けているかのように装った。しかし、そんな連中が居なくなったあとの叔父は、今まで放送し続けていた陽気な笑い声をピッタリ止めて、打ってかわった無口な、日陰の石塔を見るような冷たい人間になってしまうので、一層悪魔らしい感じがした。それにつれて二人の店員も、私も同じように無言のまま、その眼色を見て仕事をしなければならなかったので、お客の居ない間の店の中はまるで秘密の倶楽部《くらぶ》か何ぞのように、陰気な静けさで充たされていた。
 私はそこで給仕同様にコキ使われながら夜学校に通わされる一方に、毎日毎日相場の事ばかり見せられたり聞かされたりした。そのうちにいつからともなく相場の種類や、上り下りの理窟や、馳け引きのうらおもて[#「うらおもて」に傍点]などが解って来るに連れて、世の中に相場ぐらい詰らない面白くないものはない、とシミジミに思うようになった。けれども亦《また》、そんなものに引きずられて、血眼《ちまなこ》になっている人間を見るのは非常に面白かった。前にも書いた通り叔父は大変な嘘吐きで、よくお客に中華民国の暦と米相場の高低表を並べて見せて、この日は仏滅[#「仏滅」に傍点]だからこの株が下った。この時は日柄が三リンボーだったけれども虎の日[#「虎の日」に傍点]の友引き[#「友引き」に傍点]だったから、この株とこの株が後場《ごば》になって盛り返したのだ。元来この「友引き[#「友引き」に傍点]」とか「先負け[#「先負け」に傍点]」とかいう日取りの組合わせは聖徳太子の御研究で、人気の移りかわって行く順序をあらわしたものです……この相場の高低表と見比べて御覧なさい。一目瞭然でしょう……現に私はこの時にいくら儲《もう》けて……なぞと真面目腐って講釈をしていた。しかもその暦をよく見ると、いい運勢とわるい運勢とが同じ日に幾つも重なり合っていて、相場が上っても下っても理窟がつくようになっているのであったが、それを真剣になって聞いている素人のお客を見ると、トテモ滑稽で気の毒でしようがなかった。同時に叔父の口先のうまいのにいつも感心させられた。
 こうして十六の年に簿記の夜学校を出ると、私は店の電話機の横に机を一個《ひとつ》貰って、各地から来る場況《ばきょう》や出米《でまい》をきく役目を云いつかった。同時に今まで毎晩私と一緒に寝ていた帳簿方が結婚をして家を持ったので、私が常設の宿直になった。午後四時から五時の間に叔父や店の者が相前後して店を引けて行くと、私は表を閉めて閂《かんぬき》を入れて後を掃除した。それから翌朝の六時か七時に起きて、近所の出前屋が配達する弁当を喰って、表に水を打って掃除を済まして、詰襟の洋服に着かえるまでのあいだ、私は小遣銭《こづかいせん》の許す範囲で、古雑誌を買ったり、貸本を取り寄せたりして、いろんな空想を湧かしつつ読み耽った。その中《うち》でも特に私の興味を惹いたの
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