に両の腕を絡ませると、興奮のために、ふるえる唇を、私の耳に近づけた。喘《あえ》ぐように囁やきはじめた。
「……あたしね……聞いてちょうだい……ずっと前、長崎で西洋人の小間使いになっているうちに、ソッと毒薬の小瓶を盗んでおいたのよ。……可愛らしい瀬戸物の真黒な小瓶よ。それはね……そのラマンさんという和蘭《オランダ》人のお医者の話によると、ジキタリスという草を、何とかいう六《むつ》ヶしい名前の石と一緒に煮詰めた昔から在る毒薬で、支那人が大切にする『鴆《ちん》の羽根』と『猫の頭』と『虎の肝臓《きも》』と『狼の涎《よだれ》』という四つの毒薬の中《うち》で『鴆の羽根』という白い粉と、おんなじものになっているんですってよ。……それをアブサントを台にして作ったコクテールの中に、竹の耳掻きで一パイか二ハイずつ混ぜて服《の》ませると、その人間は間もなく中毒にかかって、いくらでもいくらでも飲みたくなるんですって……アブサントのおかげで青臭いにおいがスッカリ消されている上に、どことなくホロ苦くてトテモ美味《おい》しいんですって……だけど一度に沢山飲ませると、すぐに眼や鼻から血を噴き出しながらブッたおれて、十分と経たないうちに死んで終《しま》うから駄目なんですってよ……そうして二日目か三日目越しに、竹の耳掻き一《ひ》と掬《すく》いずつ殖《ふ》やして行って、その毒が心臓にすっかり沁み込んだ時に……つまり耳掻きに十杯以上……グラムに直して云うと三分の一グラムぐらい飲んでも、何ともないようになった時分に、急にその薬を入れるのを止《よ》すと、四五日か一週間も経つうちにいつとも知れず、不意に、心臓痲痺とソックリの容態になって死んでしまうので、どんなにエライ博士が来て診察しても、わかりっこないんですってさあ…………ね………ステキでしょう……ね……わかって?……」
私は眼の前にモヤモヤと渦巻きのぼる温泉の白い湯気を見守りながら、夢を見るようないい気持ちになって、ウットリと彼女の囁やきに聞き惚《と》れていた。その湯気の中に入道雲みたように丸々と肥った叔父のまぼろしが、いくつもいくつも、あとからあとから浮き出しては消え、あらわれては隠れして行くのを見た。それを見守りながら私は、伊奈子の話が途切れてしまっても、暫くの間ムッツリと口を噤《つぐ》んでいたが、そのうちにフト気が付いて伊奈子を振りかえった。
「……
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