蕃小僧はスッカリ喜んじゃったのですね。大胆にもオッチニの金モール服のまま、他所《よそ》から帰って来る若親分を、町外れの草原《くさはら》で捕まえて面会したのだそうです。そうして奥さんの不行跡《ふしだら》を自分一人が知っている事のように洗い泄《ざら》い並べ立てて脅迫しながら、済まないがここのところを暫くの間、眼をつむってもらえまいか。稼ぎ高を山分けに致しますから……とか何とか厚顔《あつか》ましい事を云って、柔らかく固く相談をしますと、不思議にも若親分が、青い顔をして暫く考えた後《のち》に、黙って承知したんだそうです。モトモト久蔵親分は、好きで渡世人になった訳じゃないし、法律の一つも心得ているだけに、東京へ出て一旗上げたい上げたいと思いながら、因縁に引かれ引かれて足を洗いかねているところへ、最愛の女房《おかみさん》から踏み付けにされちゃったのですからスッカリ気を腐らしたのでしょう。そうして生蕃小僧に別れると直ぐに久蔵親分は、甘木柳仙の処を尋ねて、すみませんがモウお雛様がお片付きのようですから、御宅のお嬢さんを又、暫く私に貸して頂けますまいか。久し振りに抱《だ》っこして寝たいですからと申込みました……久蔵親分は若い人に似合わない子供好きで、見付の子供は皆オジサンオジサンと云って懐《なつ》いていたそうです。わけてもこの柳仙の処の子供は、特別に可愛がっていたせいでしょう。まるで親のように懐《なつ》いておりましたし、それまでにも度々そんな事がありましたので、柳仙夫婦は快く子供の着物を着かえさしたりお菓子や寝床まで風呂敷に包んで、若親分に渡してやったそうです。
……それから若親分は自宅へ帰ると、直ぐに乾児《こぶん》どもを呼集め、その大勢の眼の前に、若い奥さんと世話人を呼付けてアッサリ離別を申渡しましたので、二人ともグーの音《ね》も出ないで荷物を片付けてスゴスゴと田舎へ帰りました。それを見送った若親分は……ほんとに済まない事をした。俺の顔ばかりでなくお前たちの顔まで潰してしまった。俺はモウ決心を固めているのだからこの際何も云うてくれるなと云って乾児《こぶん》の中《うち》の一人に自分の席を譲り、その場で、お別れの酒宴を初めました。
……一方に柳仙夫婦の一軒屋へ生蕃小僧が忍び入って、夫婦と女中の三人を惨殺し、家中《うちじゅう》を引掻きまわして逃げて行ったのは、ちょうどその暁方《あけがた》の事だったそうです。ところで生憎《あいにく》か仕合わせかわかりませんが、その時に柳仙の手許に在ったお金はお小遣の余りの極く少しで、銀行の通帳や貴重品なんかは見付の町に在った心安い貯蓄銀行の金庫に預けてありましたので、お金以外の品物を決して盗らない事にしている生蕃小僧にとってはトテも損な稼ぎだったのでしょう。ところが、それとはウラハラに久蔵若親分はステキに、うまい事をしてしまいました。多分柳仙の家《うち》に残っていた印形《いんぎょう》を利用するか何かしたのでしょう。それにしてもドンな風に胡麻化《ごまか》したものか知りませんが、当然、その娘のものになる筈の何万かの財産と、かなり大きな生命保険を受取ると、そのまま行衛《ゆくえ》を晦《くら》ましてしまったものだそうです。
……ね……もうおわかりになったでしょう。柳仙夫婦がこの世に残したものの中でも一番大きい、美味《おい》しいことは、みんな久蔵若親分のものになってしまったのですからね……あとからこの事を知った生蕃小僧が、それこそ地団太を踏んで今の轟九蔵を怨んだのは無理もありませんわね。ですから轟がドンナに巧妙に姿を晦《くら》ましても生蕃小僧はキット発見《みつけ》出して脅迫して来るのでした。俺が捕まったらキット貴様も抱込んで見せるとか、当り前の復讐では承知しないぞ……とか何とか云っていたそうですが、しかし轟はセセラ笑っておりました。彼奴《きゃつ》の怨みは藪睨みの怨みだ。俺は別に生蕃小僧をペテンにかけるつもりじゃなかったんだ。ただお前が可愛くてたまらなかったばかりに、万一の事が気にかかってアンナ事をしただけの話なんだ。もちろん生蕃小僧がアンナに早く仕事にかかろうとは思わなかったし、奥さんの事を片付けてサッパリしてから柳仙に注意もしようし、手配もするつもりでいたんだから、柳仙夫婦が、あのまんま無残絵になってしまったのはヤハリ天命というものだったろう。
……柳仙が国禁の絵を描いている事はトックの昔から睨んでいた。しかしイクラ忠告をしても止めないばかりでなく、県内の有力者の勢力なんかを利用して盛んに高価《たか》い絵を売り拡げて行くので、俺は実をいうとホントウに柳仙の厚顔《あつかまし》さを憎んでいた。ナンノ柳仙を見付から追出すくらい何でもなかったんだが、ただお前の可愛さにカマケていたばかりなんだ。それから先の事は自然の成行《なりゆき》で、大和の国に居る柳仙の親類なんかは一人も寄付かなかったんだから仕方がない。生蕃小僧から怨まれる筋合いなんか一つもないばかりでなく、俺はお前を無事に育て上げるために、生命《いのち》がけで闘わなければならない身の上になってしまった。俺が朝鮮に隠れてピストルの稽古をして来た事を、生蕃小僧が知っていなかったら、俺もお前もトックの昔に生蕃小僧にヤッツケられていたろう。
……ところが、それから後《のち》、四五年経つと流石《さすが》の生蕃小僧も諦らめたと見えて、バッタリ脅迫状を寄越さなくなった。彼奴《あいつ》から脅迫状が来るたんびに俺はすこしずつ金を送ってやる事にしていたんだから不思議な事と思ったが、もしかすると自分の怨みが藪睨みだったのに気付いたのかも知れない。それとも病気で死ぬかどうかしたのじゃないかと思うと、俺は急に気楽になって本当の活躍を初め、今の地位を築き上げたものなんだが、その十幾年後の今日《こんにち》になって突然に又生蕃小僧から脅迫状が来はじめたのだ。しかも俺にとっては実に致命的な意味を含んだ脅迫状が……」
「エッ……チョチョチョット待って下さい」
江馬兆策は感動のあまり真白になった唇を震わした。
「そ……それもホントなんですか」
「ホホホ……みんな真実《ほんとう》なのよ。最初から……まだまだ恐ろしい事が出て来るのよ。これから……」
「……………」
「シッカリして聞いて頂戴よ。是非とも貴方に脚色して頂いて、大当りを取って頂きたいつもりで話しているんですからね」
「……………」
「……その脅迫状というのは、最初は極く簡単なものだったのです。一週間ばかり前に来たのは普通の封緘葉書で金釘流で『大正十年三月七日を忘れるな……芝居じゃないぞ』といっただけのものだったそうですが、それから後に二三回引続いて来たものは、相当長い文句のチャンとした書体で、とてもとても恐ろしい……私達の致命傷と云ってもいい文句でしたわ」
「……ど……ど……ドンナ……」
「ホホホ。アンタ気が弱いのね。そんなに紙みたいな色にならなくたっていいわ。あのオ……チョイト……ボーイさん。ウイスキー・ソーダを一つ……大至急……」
江馬兆策はホッと溜息をした。顔中に流るる青白い汗をハンカチで拭いた。
「ホホホ。落付いてお聞きなさいよ。モウ怖いことなんかないんですからね。犯人が捕まって片付いちゃったアトなんですから……」
「でも……でも……まだ疑問の余地が……」
「ええええ。まだまだ沢山に在るのよ。モットモット大きな、深い疑問が残っているのを誰も気付かずにいるのよ。轟さんの心臓にあのナイフが突刺さったホントの理由が、わかる話よ」
「エエッ。それじゃホントの犯人が……別に……」
「居るか居ないかは貴方のお考えに任せるわ。そこがこの脚本のヤマになるところよ。いい事……その長い脅迫状の文句はこうなのです。その脅迫状はあたし自分の部屋の鏡台の秘密の曳出《ひきだし》にチャント仕舞っているのですから、あとからお眼にかければわかるわ……轟九蔵と甘木三枝は、戸籍面で見ると親子関係になっていない。女優の天川呉羽は轟九蔵の養女でも何でもないのだから、つまるところ轟九蔵は甘木三枝の財産を横領している事になる。それのみか、轟九蔵と天川呉羽とは事実上の夫婦関係になっている事を、俺は最近になって探り出しているのだ。その上にその呉羽こと三枝という女は、ズット以前から劇作家江馬兆策と関係している……」
「ワッ……ト飛んでもない……アッツ……」
江馬兆策は突然真赤になって手を振ったトタンに、たった今来たウイスキー・ソーダの飲みさしを切株のテーブルの上に引っくり返した。それを給仕が急いで拭こうとしたナプキンを慌てた兆策が引ったくって拭いた。
「ホホホ。馬鹿ねえ貴方は……わかり切っている事を妾の前で打消さなくたっていいじゃないの……ホホ……」
兆策はモウすっかり混乱してしまったらしい。濡れたナプキンで上気した自分の顔を拭き拭き給仕にソーダのお代りを命じた。しかし給仕は笑わないで、腰を低くして、恭《うやうや》しくナプキンを貰って行った。
「……ね。ですから妾あなたに考えて頂こうと思ってお話するのよ。貴方はいつもソンナ問題ばかりを研究していらっしゃるんですから、妾の話をお聞きになったらキット犯人を直覚して下さると思うのよ。轟九蔵を殺したのは生蕃小僧じゃない。あの支配人の笠圭之介……」
「エッ……ナ何ですって……そんな事が……」
江馬兆策が中腰になった。しかし呉羽は冷然と落付いていた。
「あたし……それが今日わかったのよ。あの笠圭之介がね。ツイ今さっきの夕方の幕間に妾をあの五階の息つき場へ呼んでね。よもや誰も知るまいと思っていた脅迫状の中味とおんなじ事を云って妾を脅迫したのよ。轟さんと妾の関係や貴方と妾の関係を疑ったような事を云ってね……ですから妾ヤット気が付いたのよ、今捕まっているのはホンモノの生蕃小僧じゃない。ドッサリお金を掴ませられているイカサマの生蕃小僧で、公判になったらキット供述を引っくり返すに違いない。だから本物の生蕃小僧はアノ支配人の笠圭之介……」
「フ――ム――」
江馬兆策が頭を抱えて椅子の中に沈み込んだ。眼をシッカリと閉じて、モジャモジャした頭の毛の中へ十本の爪をギリギリ喰い込ませた。
「……ね……こんな事があるのですよ。今もお話した通り、生蕃小僧の脅迫状が来なくなってから轟がホントウに活躍を初めたのが大正十四年頃でしょう。それからあの呉服橋劇場を買ったのが昭和三年の秋ですから、その間に三四年の開きがあるわけでしょう。その間に生蕃小僧が悪い仕事をフッツリと止めて、あの呉服橋劇場の支配人になり済ますくらいの余裕はチャントあるでしょう。生蕃小僧があんなにムクムクと肥って、丸きり見違えてしまっている事も、考えられない事じゃないでしょう。そこで生蕃小僧は上手に轟さんに取入るか、又は影武者の生蕃小僧に脅迫状を出させるか何かしてあの劇場《こや》を買わせたのよ。そうしてあの劇場の経営を次第次第に困難に陥れて、轟さんの爪を剥いだり、骨を削ったりしながら待っている中《うち》に、妾が年頃になったのを見澄まして轟さんを片付けて、タッタ一人になった妾を脅迫して自分のものにしようと巧《たく》らんだ……と考えて来ると、芝居としても、実際としても筋がよく透るでしょう。何の事はない新式の巌窟王よ……ね……」
「……………」
「その中《うち》でタッタ一つ邪魔気《じゃまっけ》なのは貴方です。江馬さんです……ね。貴方は天才的な探偵作家ですから普通の人だったら夢にも想像出来ない事をフンダンに考えまわしておられる方です。ですから万一、今のようなお話をお聞きになった暁には、いつドンナ処から自分の正体を看破《みやぶ》られるかわからない。警戒の仕様がないでしょう」
「……………」
江馬兆策は頭の毛を掴んだままソッと両眼を見開いた。その両眼は重大な決心に満ち満ちた青白い、物凄い眼であった。わななく指をソロソロと頭から離して、そこいらを見まわすと、ウイスキー曹達《ソーダ》に濡れた切株の端に両手を突いて立上った。呉羽の希臘《ギリシャ》型の鼻の頭をピッタリと凝視して徐《おもむ》ろに唇を動かした。
「
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