出したり、花柳の巷《ちまた》を泳ぎまわったりするような不規則は絶対にした事がない……という証言だ。全くの独身生活者で、ただ娘分の三枝を、世界一の探偵劇スターとして売出す事以外に楽しみはなかったらしいのだ」
「ヘエ。面白いですね。そうした変態的な男と女と二人切りの生活が、全くの裏表なしに継続出来るものでしょうか」
「アハハ。ナカナカ君は疑い深いなあ。まあこっちへ来たまえ。ユックリ話そう」
 二人は又、応接間へ引返して申合わせたように又もMCCを抓《つま》んだ。
「美味《うま》い煙草だなあ。一本イクラ位するもんかなあ。二十銭ぐらいしはせんか」
「イヤ。そんなにはしないでしょう。二十銭出せば葉巻が二本来ますからね」
 二人は互いちがいにコバルト色の煙を吹上げ初めた。
「君は天川呉羽と轟九蔵の性関係を疑っとるのじゃろう」
 文月巡査が忽ち赤くなったが、そのまま微笑してうなずいた。
「ハハハ。ナカナカ隅に置けんのう君も……」
「やはり……その……何かあるんですか」
「ところが今のところ、何も疑わしいところがないんだよ」
「十分……十二分に疑ってみる必要があると思いますなあ。事によると今度の事件の核心はそこいらに在るかも知れませんからねえ」
「御高説もっともじゃが……まあ聞き給え。こうなんだよ。二人の日常生活を説明すると……これは二人の女中の陳述を綜合したものじゃが……先ず毎朝九時に娘の呉羽が先に起きて湯に這入る。女優としてはかなり早起の組だね。それから一時間ばかりかかって化粧をして、着物を着かえて出て来る」
「女中も何も手伝わないのですか」
「ウン。手伝わせるどころか、湯殿の入口をガッチリと鍵かけて、誰が来ても這入らせないそうだが、これは何か呉羽嬢が、天川一流ともいうべき秘密の化粧法を知っておって、それを他人に盗まれない用心じゃという話じゃが……」
「それは女中の話でしょう」
「そうじゃ。……一方に天川呉羽嬢に云わせると私は自分の肌を他人に見られるのが死ぬより嫌いです。無理にでも見ようとする人があったら、私は今でも自殺します……といううちにモウ、ヒステリーみたいに顔を歪《ゆが》めて眉をピリピリさせおったわい。ハハハ」
「すこし云う事が極端ですね。何か身体《からだ》に刺青《ほりもの》でもしているのじゃないでしょうか」
「そんな事かも知れんね……ところでそうやって浴室から出て来た呉羽嬢の姿を見ると、何度出合うてもビックリするくらい美しい。青々とした濃い眉が生え際に隠れるくらいボーッと長い。睫《まつげ》が又西洋人のように房々と濃い。眼が仏蘭西《フランス》人形のように大きくて、眦《まなじり》がグッと切れ上っている上に、瞳がスゴイ程真黒くて、白眼が、又、気味の悪いくらい青澄《あおず》んで冴え渡っている。その周囲を、死人《しびと》色の青黒い、紫がかったお化粧でホノボノと隈取って、ダイヤのエース型の唇を純粋の日本紅で玉虫色に塗り籠めている……」
「ハハハ。どうも細かいですなあ」
「女中がソウ云いおったのじゃからなあ……オット忘れておった。鼻がステキだと云うのだ。芝居のお殿様の鼻にでもアンナ立派な鼻はない。女の鼻には勿体ないと女中が云いおったがね。ハハハ……女じゃからそこまで観察が出来たもんじゃ。そいつが四尺近くもあろうかと思われる長い髪を色々な日本髪に結うのじゃそうなが、髪結いの手にかけると髪毛《かみのけ》が余って手古摺《てこず》るのでヤハリ自分で結うらしい」
「してみると入浴の一時間は長くないですな。寧《むし》ろ短か過ぎる位ですな」
「何でも呉羽は早変りの名人だけに、余程手早く遣るらしい。それからこの頃だと紅色の燃え立つような長|襦袢《じゅばん》に、黒っぽい薄物の振袖を重ねて、銀色の帯をコックリと締め上げて、雪のようなフェルト草履《ぞうり》を音もなく運んで浴室から出て来ると、とてもグロテスクで、物すごくて、その美くしさというものは、ちょうどお墓の蔭から抜け出た蛇の精か何ぞのような感じがする。恐怖劇の女優というが、真昼さなかに出合うてもゾーッとするのう……ハハハ……これは勿論、吾輩の感想じゃが……」
「見たいですねえ。ちょっと……そんなタイプの女は想像以外に見た事がありません」
「ハハハ。そのうち帰って来るからユックリと見るがええ。しかし惚れちゃイカンゾ」
「……相すみません……洋装はしないのですか」
「ウム。時々洋装もするらしいが、その洋装はやはり旧式で、帽子の大きい袖の長い、肌の見えぬ奴じゃそうなが、よく似合うという話じゃよ」
「ヘエ。それから今チョット不思議に思ったのですが、その呉羽嬢は湯殿の中からイキナリ盛装して出て来るのですか」
「そうらしいのう」
「妙ですね。そうすると平生着《ふだんぎ》というものを持たない事になりますね。……つまり外に出てから着かえはしないのですか……普通の女のように……」
「ハハハハ。ナカナカ君も細かいのう。探偵小説の愛読者だけに妙なところへ気が付くのう。そこまでは未だ調べが届いておらん」
「残念ですなあ。そこが一番カンジン、カナメのところかも知れないのに……」
「まあ話の先を聞き給え。それから十時頃に、その呉羽嬢が浴室を出ると、女中が主人の轟九蔵を起しに行くが、コイツが又一通りならぬ朝寝坊でナカナカ起きない。それをヤット起して湯に入れると間もなく朝飯《あさはん》になる。それから十二時か一時頃になって支配人の笠圭之介が遣って来て三人寄って紅茶か、ホット・レモンを飲みながら業務上の打合わせをする。時には三人で大議論をオッ初める事もあるが大抵のことは呉羽嬢の主張が通るらしい」
「その支配人の笠という男はドンナ人間ですか」
「僕に負けんくらい巨大《おおき》な赭顔《あからがお》の、脂《あぶら》の乗り切った精力的な男だ。コイツも独身という話じゃが」
「何だかヤヤコシイようですね。呉服橋劇場の首脳部の三人が揃いも揃って独身となると……」
「ところがこの笠という男は有名な遊び屋でね。それも頗《すこぶ》る低級に属しとる。つまらない女ばかり引っかけまわって、この大森の砂風呂なんかによく来るので、自然吾々の仲間にも顔が通っている。臨検してみると「ヤア君か」といったアンバイでね。ハハハ。話すと面白い男だよ。誰でも初めて劇場で合うとこの男を劇場主の轟と間違える位、立派な風采じゃがね。そいつが来てその日の事務の打合わせが済むと、一時か二時頃から三人同伴で劇場や、新聞社に行く事もあれば、別々に行く事もある。帰って来るのは大抵夜中の十二時前後で、その時も三人別々だったり一緒じゃったりするが、早い奴から湯に這入って軽い夕食を摂る。笠支配人はいつも麦酒《ビール》を飲んで少々ポッとしたところで自動車を呼んで丸の内のアパートへ帰る……かドウか、わからないがね。残った二人の中《うち》で主人の轟は事務室の片隅の寝台へ寝る。呉羽嬢は二階の別室に寝るのじゃが、その時に呉羽嬢は寝室の鍵をやはりガッチリと掛けて、その上から今一つ差込の閂《かんぬき》まで卸すとモウ誰が来ても開けない。もっとも寝がけに睡眠剤を服《の》むらしいがね」
「轟氏の方は……」
「呉羽嬢が「おやすみ」を云うたアトで三十分か一時間ぐらい手紙を書いたり何か仕事をするのが習慣になっとるらしいが、その時には必ず浴衣《ゆかた》に着換えている。そうしてこれも何か知らん薬を服《の》んでから寝るらしいがね」
「当日も変った事はなかったんですね」
「イヤ。あったんだ。しかもタッタ一つ奇妙な事があったんだ。少々神秘的なことが……」
「ヘエ。神秘的と云いますと……」
「それが面白いのだ。この家の女中はズット以前……この家が建った当時から二人きりに定《き》まっている。こう見えてもこの家は案外広くないのだ。部屋らしい部屋はタッタ四|室《ま》しかない上に、万事がステキに便利に出来ているからね……ところで一番古く、建った当時から居るのが今云うた松井ヨネ子という二十六になる逞ましい肉体美の醜女《オッペシャン》だ。コイツが田舎出の働き者で、家の内外の掃除から、花畠の世話まで少々荒っぽいが一人で片付ける。しかも轟九蔵と天川呉羽の性生活について非常な興味を持っているらしく、そいつがわかるまでは断然お暇を貰わないつもりですとか何とか、吾々の前で公々然と陳述する位、痛快な女なんだ。何でもどこか極めて風俗の悪い村から来ているらしく、万事心得た面構えをしているが、しかし遺憾ながら、まだ二人の関係については突詰めた事を一つも掴んでいないので、ああした年頃の未婚の女にあり勝ちな悩みをこの問題一つに集中しているらしいんだね。この問題に限ってチョット突《つっ》つくと直ぐに止め度もなくペラペラと喋舌《しゃべ》り出しやがるんだ。どう見ても普通の親娘《おやこ》じゃありません……と熱烈に主張するんだ」
「なるほど面白いですね」
「ところが今一人居る市田イチ子というのは、やはり田舎からのポット出だが、今年十八になったばっかり。つまりそうした好奇心の一番強い真盛りの娘ッ子で、やっと一昨日《おとつい》来たばっかりのところへ、先輩のヨネ子からこの話を散々聞かされた訳だね。それから呉羽嬢の初のお目見得をしてみると、あんまり美しいのでビックリした拍子に呉羽嬢の姿がブロマイドみたいに眼の底に沁[#底本では「泌」と誤記]《し》み付いてしまって、日が暮れたら怖くて外へ出られなくなった。夜具を引っ冠ると眼の前にチラ付いてスッカリ冴えてしまった……」
「アハハハ。形容が巧いですね」
「イヤ。笑いごとじゃない。その娘が自身に白状したんだ。ところへ昨夜の事、女中部屋の扉《ドア》の真向いに当る廊下の突当りで、主人の居間の扉《ドア》がガチャリと開《あ》いた音がしたので、ハッと眼を醒まして無意識の裡《うち》に起き上り、鍵穴からソッと覗いてみると、いつも寝間着姿で仕事をしていると聞いていた主人が、チャント洋服を着ている。今しがた帰って来て、イチ子自身がホコリを払ってやった時の通りの黒いモーニングと白チョッキと荒い縞のズボンを穿いている……つまり今朝《けさ》の屍体が着ていたのと同じものだね。のみならず主人の背後の扉《ドア》の蔭からチラリと動いた赤いものが見えた。大きな蛇が赤い舌を出した恰好に見えたのでギョッとして、頭から布団を冠ってしまったが、あとから考えると、それはお嬢様の振袖と、絽《ろ》の襦袢《じゅばん》の袖だったに違いないと云うんだ。……何でもその時に女中部屋の時計がコチーンコチーンと二時を打つのを夜着《よぎ》の中で聞いたというがね」
「ははあ……重大な暗示《ヒント》ですなあ。それは……」
「暗示《ヒント》? 何の暗示だというのだね」
「イヤ。別に暗示《ヒント》という訳では[#底本では「は」が脱落]ありませんが、しかし、それはソンナに遅くまで、轟九蔵氏と天川呉羽嬢があの事務室に居た証拠として考えてはいけないでしょうか」
「そうすると君は天川呉羽が轟九蔵を殺したというのかね。それだけの事実で……」
「イヤ。そんな怪談じみた想像説は、この場合成立しませんが、ツイ今しがた参りました奇妙なゴムチューブの足跡が、呉羽嬢と九蔵氏が一所《いっしょ》に居った時に這入って来たものか、それとも相前後して出入りしたものとすれば、ドチラが後か先かという事が、この事件を解決する重大な鍵となって来ましょう」
「ウーム。自然そういう事になるね」
「ところがその足跡の主が這入って来て、出て行ったのが、お話の通り二時以前としますかね。雨が降り出してから帰った形跡はないのでしょう」
「ウム。ない」
「それから呉羽嬢が居たのが二時頃としますとドチラにしても二時以後は呉羽嬢がタッタ一人、轟氏の傍に居た事になります。そうすると二時頃までピンピンしていた轟氏を殺したものは絶対に呉羽嬢以外には……」
「アハハハハ。イヤ。名探偵名探偵。その通りその通り。寸分間違いない話だが……そこが探偵小説と実際と違うところなんだよ。つまり君がアンマリ名探偵過ぎるんだ」
「……名探偵過ぎるって……」
「つまり君はアンマリ考え過ぎている
前へ 次へ
全15ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング