ウブ類似のゴム製の袋をスッポリと穿めて、麻糸らしい丈夫なものでグルグルと巻立てた頗る無恰好な、大きな外観のものに相違ない。それもこの家の向う角の暗闇の中で準備したものに違いない事が、そこに落ちていた麻糸の切屑で推定される……という事にきまったがね」
「手がかりにはなりませんね。それじゃあ」
「ならんよ。よく郊外の掃溜や何かに棄ててある品物だからね。なかなか考えたものらしいよ。探偵劇の親玉の処へ這入るんだからね。ハハハ……」
「最初に発見したのは小間使の……エエト……何とか云いましたね……」
「市田イチ子だろう。まだ十七八の小娘だがね。サッキ僕等を出迎えていたじゃないか……気が附かなかった……ウン。その市田イチ子が今朝《けさ》十時半過ぎだったと云うがハッキリしたことはわからん。毎朝の役目で今這入って来た扉《ドア》をたたいて主人の轟氏を起しにかかったが、何度たたいても、声をかけても返事がない。部屋の中が何となく静かで気味が悪いので、台所女中の松井ヨネ子[#底本では「子」が脱落]という女から合鍵を貰って扉《ドア》を開いてみるとイキナリ現場が見えたのでアッと云うなり扉《ドア》を閉めると、その把手《ハンドル》に縋り付いたまま脳貧血を起してしまった。そいつを朋輩の松井ヨネ子[#底本では「子」が脱落]が介抱して正気付かせて、サテ、扉《ドア》の内側を覗いて見ると、思わず悲鳴を挙げたと云うね。しかも、これは気絶するどころじゃない。キチガイのように喚《わ》めき立てながら二階へ駈上って、女優の天川呉羽に報告した……というのが、あの新聞記事以前の事実なんだがね」
「それからその天川呉羽が泣いて復讐云々の光景をドウゾ……」
「ああ。あれかい。あれは今の松井という台所女中の話が洩れたもので、多少、新聞一流のヨタが混っているよ。第一呉羽嬢は泣きもドウモしなかったというんだ」
「ヘエ。泣かなかった」
「ウン。それがトテも劇的な光景なんで、傍《そば》に立って見ていた今の松井ヨネ子は自分が気絶しそうになったと云うんだ。……ちょうどその時に天川呉羽嬢はチャント外出用の盛装をして二階の自分の部屋に納まっていたそうだが、ヨネ子の報告を聞くとソッと眼を閉じて眉一つ動かさずに聞き終ったそうだ。それから幽霊のような青い顔になって静かに立上ると、音もなくシズシズと階段を降りて、まだ倒れている市田イチ子をソッと避《よ》けながら轟氏の居間に消え込んだ。あとから松井ヨネ子が、又気絶されちゃ困ると思ってクッ付いて這入るのを、呉羽嬢は見返りもせずに死骸に近付いて、血だらけの白チョッキに刺さっている短剣の※[#「※」は「木+霸」、第3水準1−86−28、122−8]《つか》の処と、轟氏の死顔を静かに繰返し繰返し見比べていた……」
「スゴイですね」
「ウン。流石は探偵劇の女優だね。大向うから声のかかるところだよ」
「冗談じゃない……」
「それから今度は今の奇怪な足跡を、自分の足の下から這入って来た窓の方向までズウッと見送ると、轟氏の魂が出て行ったアトを見送るように恭《うやうや》しく肩をすぼめて、心持ち頭を下げた」
「ヘエ。少々変テコですね」
「まあ聞き給え。それからタシカな足取で二三歩後に退《さが》って轟氏の屍体に正面すると両手を合わせて瞑目し、極めて低い声ではあったがハッキリした口調でコンナ事を祈ったそうだ。……轟さん。妾《わたし》が間違っておりました……」
「妾が間違っていた……」
「ウン……「この敵讐《かたき》はキット妾の手で……」と……それだけ云うと又一つ叮嚀に頭を下げてから傍《そば》に立っている松井ヨネ子をかえりみた。普通の声で「お前。支配人の笠《りゅう》さんと大森の警察署へ知らして頂戴ね。御飯はアトでいいから……」という中《うち》に淋しくニッコリ笑ったという」
「ヘエエッ。豪《えら》い女があるものですね。まだ若いのに……」
「ハハハ。感心したかい」
「感心しましたねえ。第一タッタそれだけの間に、犯罪の真相を見貫《みぬ》いてしまったのでしょうか。そんな事を云う位なら警察なんか当てにしなくともいいだけの自分一個の見解を……」
「アハハ。何を云ってるんだい君は……これは彼女の手なんだよ。宣伝手段なんだよ」
「宣伝手段……何のですか」
「プッ。モウすこし君は世間を知らんとイカンね。俳優生活をやっている連中は代議士と同じものなんだよ。ドンナ不自然な機会を捉《とら》まえても自分の名前を宣伝しよう宣伝しようとつとめるのが、彼等の本能なんだ。彼等は舞台や議会だけでは宣伝し足りないんだ。所謂《いわゆる》、転んでも只は起きないというのが彼等の本能みたいになっているので、この本能の一番強い奴が名を成すことを、彼等は肝に銘じているんだよ」
「驚きましたね。そんなに非道《ひど》いものでしょうか」
「論より証拠だ。天川呉羽がコンナ絶好のチャンスを見逃す筈がないんだ。果せる哉《かな》、新聞屋連中はこうした呉羽嬢の芝居に百パーセントまで引っかかってしまって、まるで呉羽嬢の宣伝のために轟氏が殺されたような記事の書き方をしているが、吾々警察官は絶対にソンナ芝居やセリフに眩惑されちゃいけないんだよ。下手な探偵小説じゃあるまいし、名探偵ぶった天川呉羽の御祈りの文句なんかを考慮に入れたり何かしたら飛んでもない間違いを起すにきまっているんだからね。誰も相手にしてやしないよ」
「成程《なるほど》ねえ。わかりました。しかし、それにしても、まだわからない事が多いようですね」
「何でも質問してみたまえ。現場に立会ったんだから知ってる限り即答出来るよ」
「第一……にですね。あの窓を明《あ》けて這入って来た犯人が、どうしてわからなかったのでしょう被害者に……」
「ウム。豪《えら》い……そこが一番大切な現実の問題なんだよ。同時に司法主任、判検事も、首をひねっているところなんだよ。あの通り窓の締りは、捻込《ねじこ》みの真鍮棒になっとるし、あの窓枠の周囲には主人の轟氏以外の指紋は一つも無い。しかも、それがあの窓に限って念入りに、ベタベタと重なり合って附いているのだから変梃《へんてこ》だよ。よっぽど特別な……或る極めて稀な場合を想像した仮説以外には、説明の附けようがないのだ」
「ヘエ。轟氏がお天気模様か何かを見たあとで締りをするのを忘れていたんじゃないですか」
「どうしてどうして。被害者は平生から極めて用心深くて、寝がけに女中に命じて水を持って来させる時に、一々締りを附けさせるし、そのアトでも自分で検《あらた》めるらしいという厳重さだ」
「それじゃ家内の者が開けて、加害者を這入らせたとでもいうのですか」
「つまりそうなるんだ……という理由はほかでもない。この事務机《デスク》の右の一番上の曳出《ひきだし》に一梃のピストルが這入っていた。それも旧式ニッケル鍍金《めっき》の五連発で、多分、明治時代の最新式を久しい以前に買込んだものらしい。弾丸《たま》も手附かずの奴が百発ばかり在ったが、それを毎日毎日手入れをしておった形跡があるのじゃから、被害者の轟氏はズット以前から何か知ら脅迫観念に囚《とら》われておったことがわかる。それが仮りに他人から怨《うらみ》を受けているものとすれば、やはりピストルと同じ位に古い因縁であったばかりでなく、毎日毎日手入れをしておかなければならぬ位ヒドイ怨みであった事が想像出来るじゃろう。ところでその轟氏が恐れている相手が、向うの窓を轟氏の手で開けさせて這入って来たのに、轟氏はそのピストルを手にしておらぬのみならず、自分で窓の締りをあけて導き入れたものとすれば、その人間は被害者の轟氏にとって、よっぽど恐ろしい人物であったという事になる」
「そんなに恐ろしい脅迫力を持った人間が、この世の中に居るものでしょうか。自分を殺しかねない相手という事が、被害者にわかっていれば尚更じゃないですか」
「そこだよ。そこに何となく大きな矛盾が感じられるからね。判検事も司法主任も相当弱っていたらしいんだが、間もなくその矛盾が解けたんだ」
「ほう……どうしてですか」
「わからんかい」
「わかりませんねトテモ。想像を超越した恐ろしい事件としか思えませんね。これは……」
「ナアニ。それ程の事件でもなかったんだよ」
「ヘエ。どうしてわかったんです」
「その事務机《デスク》の曳出《ひきだし》を全部調べたら、右の一番下の曳出から脅迫状が出て来たんだ」
「ホオー。何通ぐらい出て来たんですか」
「それがソノ……タッタ一通なんだ。僕はよく見なかったが、司法主任の横からチョット覗いてみると普通の封緘《ふうかん》ハガキに下手な金釘《かなくぎ》流でバラリバラリと書いたものじゃったよ。表書《うわがき》は単に大森山王、轟九蔵様と書いて、差出人の処書《ところがき》も日附も何もない上に、消印《スタムプ》がドウ見てもハッキリわからん。一時は良かったが近頃の郵便局の仕事はドウモ粗慢でイカンね。司法主任はスッカリ憤《おこ》っとったよ。当局に申告して消印《スタムプ》のハッキリせぬ集配局を全国に亘って調べ出してくれると云っておったが……」
「中味にはドンナ事が書いてあったんですか」
「ただコレだけ書いてあった。大正十年三月七日……芝居ではないぞ……と……」
「大正十年三月七日……芝居じゃない……」
「ウン。そうだ。それから泣いている娘……だか何だかわからんが、世間からは娘と同様に見られとるからそのつもりで話するが……その娘の甘木《あまき》三枝こと天川呉羽嬢を呼出して、その脅迫状を見せるとコンナ字体についてはチットモ記憶がない。文句の意味も何の事やらカイモクわからぬ。前にコンナ手紙が来たような事実も記憶しておらんと云う」
「成る程。……そこでサッキの呉羽嬢のお祈りの文句に触れてみたかったですな。何か参考になる事を喋舌《しゃべ》らして……」
「ウン司法主任がチョット触れていたよ。ちょうどその時に、女中を訊問していた刑事の梅原君が、その事に就いて取あえず報告したもんだからね……すると果せる哉《かな》だ。……あれは妾《わたし》があの時|口惜《くや》し紛れにそう申しましただけの事で、女の妾に何がわかりましょう。犯人が出て行った方向を拝みましたのは、そうすると遠くに居る犯人が何となくドキンドキンとして思わぬ失策を仕出かすという迷信が、外国の芝居に使ってありましたのでツイ、あんな事を致しまして……と真赤になって弁解しておった。だから、つまり目的は宣伝に在ったのだね。これは彼等の本能なんだから、深く咎めるには当らないよ。司法主任も検事も苦笑しておったよ」
「ソレッキリですか」
「イヤ……それから呉羽嬢はコンナ事を云い出しおった。……ハッキリとは申上られませんが、轟はこの四五日前から何だかソワソワしていたように思います。今までドンナ悲況に陥っておりましても、私を見ると直ぐにニコニコして何か話かけたりしておりましたものが、この頃はソンナ気振《けぶり》も見せませぬ。ただ緊張した憂鬱な、神経質な顔をして、私が何か云おうとしましてもチラチラと瞬《またた》きした切り自分の部屋へ逃込んで行きます。もちろん、その原因は私にはわかりかねますが、轟の劇場関係と、財産[#底本では「財閥」と誤記]関係の仕事は皆、呉服橋劇場の支配人の笠圭之介《りゅうけいのすけ》さんが一人で仕切って受持っておられます。大正十年の三月七日といえば、私が三つの年の事ですから、何事も記憶に残っておりませぬ。私はその三つの年に何かの事情で、年老《としお》いた両親の手から引取られて轟の世話になって来ておりますので、それから今年までの二十年間、轟は独身のまま私を育てるために色々と苦労をしておりますが、詳しい話は存じませんと巧妙に逃げおった」
「何か隠している事があるんじゃないですか」
「それがないらしいのだ。劇場主なんちういうものは一般の例によると相当複雑な生活をしているもんじゃが、今の呉羽嬢や、女中達や、支配人の笠圭之介の話なんかを綜合すると、この被害者ばかりは特異例なんだ。轟九蔵氏に限って非常に簡単明瞭な日常生活である。劇場付の女優に手を
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