「ダ誰か来てくれッ。芝居じゃないゾッ」
 それは大森署の文月巡査であった。その中《うち》に幕の横や下から笠支配人を先に立てた四五人が馳寄《はせよ》って来て、呉羽の身体《からだ》を無造作に、向って左の方へ抱え上げて行った。
 冷やかなベルの音に連れて、天井裏から真紅の本幕が静々と降り初めた。その幕の中央には眼も眩ゆい黄金色の巨大な金文字で「天川呉羽嬢へ」「段原万平」と刺繍してあった。
 万雷の落ちるような大拍手、大喝采が場内を狂い渦巻いた。ビュービューと熱狂的な指笛を鳴らす者さえ居た。
 そうして先を争う蛆虫《うじむし》の大群のようにゾロゾロウジャウジャと入口の方向へ雪頽《なだ》れ初めた。
「シバイダ……シバイダ……」
「ドコマデモ徹底的な写実劇だ」
「スゴイスゴイ深刻劇だ」
「……バカ……そんなのないよ。怪奇心理劇てんだよコレア……」
「ああスゴかった」
「ステキだった」
「あすこまで行こうたあ思わなかった」
 そうして又、思い出したように方々から振返って拍手の嵐を送るのであった。
 しかし、その大勢の中にタッタ二人だけ、拍手しない者が居た。それは正面、特等席の中央に居る江馬|兄妹《きょうだい》であった。
 江馬兄妹はそこに作り附けられている人形使節か何ぞのように、無表情な両眼を一パイに見開いて、幕が降りてしまった舞台の中央を凝視していた。満場の人影が残らず消え失せてしまった後までもまだ揃って頬を硬ばらせたまま瞬《まばたき》一つせず、身動き一つしないまま一心に真紅の幕を凝視していた。



底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年10月22日第1刷発行
※校正に当たって誤字脱字の可能性がある点については、「夢野久作全集5」三一書房、1975(昭和50)年6月15日第1版第4刷発行を参照しました。
入力:柴田卓治
校正:kazuishi
2001年7月24日公開
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