おうぎ》の影一つ動かない深海の底のような静寂さが、一人一人の左右の鼓膜からシンシンと沁[#底本では「泌」と誤記]《し》み込んで来るのであった。
第一幕、第一場は、静岡県見付の町外れの国道に面する草原《くさはら》の場面であった。その草原の中央の平石に腰をかけている若親分、等々力久蔵の前に、金モール服の薬売人《オッチニ》に化けた生蕃小僧こと、石栗虎太が胡座《あぐら》をかいて、ポケットの中からピストルを突付け、等々力久蔵の妻君の不行跡を曝露し、嘗て、或る処で、自分が等々力の妻君から貰ったという紫水晶の簪《かんざし》を見せびらかしつつ、甘木柳仙宅襲撃の仕事を見逃がしてくれるように頼み込む。等々力久蔵は暫く考えてから承諾の証拠に、紫水晶の簪を受取り、生蕃小僧と別れる。それから生蕃小僧が立去って後《のち》に、妻と世話人を草原に呼んで来て、証拠の簪を突付け、厳そかに離別を申渡し、涙を払いながら決然として立去る。木立の蔭からその光景を窺っていた生蕃小僧が立出で、腕を組んだまま物凄い冷笑を浮かべて等々力久蔵の後姿を見送り、
「トテモ追出しゃあしめえと思ったが……この塩梅《あんばい》では愚図愚図しちゃい
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