ースに、タスカンのベレー帽をチョッと傾けた、女学生みたいに初々《ういうい》しい美鳥の姿は、世にも微笑ましいコントラストを作っているのであった。
呉服橋劇場内は、文字通りの殺人的大入であった。あまりの大入りなので観客席の整理が不可能になったらしい。外廊《そとろう》から舞台の直前まで身動き出来ない鮨詰《すしづめ》で、一階から三階までの窓を全部|明放《あけはな》し、煽風機、通風機を総動員にしても満場の扇《うちわ》の動きは止まらないのに、切符売場の外ではまだワアワアと押問答の声が騒いでいるのであった。
定刻の六時に五分前になると場内から拍手の洪水が狂騰した。その真正面の幕前の中央に、若い背の高い燕尾服の男が出て来て、恭《うやうや》しく観客に一礼して後《のち》、何事か喋舌《しゃべ》り出したからであった。それも最初の間はさながらにこうした未曾有《みぞう》の満員状態を面白がっているような盲目的な拍手に蔽われて、言葉がよく聞き取れなかったが、その中《うち》に群集のドヨメキが静まると、やがて若々しい朗らかな声が隅々までハッキリと反響し初めた。
「あら。アレ寺本さんじゃない?」
「ウム。以前《もと》
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