(昭和×年八月)諾威《ノルエー》公使館に於ける同国皇帝|誕辰《たんしん》の祝賀|莚《えん》に個人の資格を以《もっ》て列席後、大森山王×××番地高台に建てられたる同じく分離派風の自宅玄関、応接間に隣る自室に於て夜半まで執務中、デスク前の廻転椅子の中で、平生同氏が机上にて使用していた鋭利な英国製|双刃《もろは》の紙切ナイフを以て、真正面より心臓部を刺貫され絶命している事が、今朝十時頃に到って発見された。急報により東京地方裁判所より貝原検事、熱海《あたみ》予審判事、警視庁の戸山第一捜索課長以下鑑識課員、大森署より司法主任|綿貫《わたぬき》警部補以下警察医等十数名|現場《げんじょう》に出張し取調《とりしらべ》を行ったが、発見者である同家小間使市田イチ子の報告により真先に死骸の傍へ駈付けた天川呉羽嬢が慟哭して復讐を誓ったにも拘わらず、犯人の目星容易に附かず。目下同邸を捜索本部として全力を挙げて調査中である。
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因《ちなみ》に轟九蔵氏の原籍地は神奈川県鎌倉町|長谷《はせ》二〇三となっているが、同所附近で氏の前身を知っている者は一人も居ない。大正十年頃より三四歳の娘(今の天川呉
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