「ええ。だって轟さんが死んじゃったら妾たちだって相当の覚悟をしなくちゃならないんでしょう。契約書見せましょうか……ホラ……」
「ウウムム。ビックリさせるじゃないかヤタラに……」
「世話してくれた人トテモ喜んでたわ。妾の声は西洋人がヤタラに賞めるんですってさあ。この間テストした時に……ですからモウ誰の世話にならなくとも大丈夫よ。轟さんから受けた御恩を呉羽さんにお返しするだけよ」
「お前はたしかに俺より偉いよ。今夜という今夜こそ完全にまいった」
「ホホホ。まだエライとこ在るのよ」
「ナナ何だい一体……」
「当てて御覧なさい」
「わからないね」
「さっきの電話の話ウソよ」
「ヘエッ。何だって……」
「アラッ。まだわかっていらっしゃらないのね」
「だって、まだ何も聞きやしないじゃないか、トリックの事……」
「自烈度《じれった》いお兄さんたらないわ。あのね……あたし今夜貰った契約の前金で変装して今夜のお芝居見に行ったのよ。そうして貴方と呉羽さんのアトを跟《つ》けてアルプスへ行って、お二人の話を横からスッカリ聞いてたの……鳥打帽を冠って色眼鏡をかけて、レインコートの襟を立てて煤《すす》けたラムプの下にいたから、わからなかった筈よ。あすこのマダムはやっぱり朝鮮《おくに》の人で、ズット前から心安いのよ。ロッキー・レコードの支配人の第二号なんですからね。今度の話もあのマダムが世話してくれたのよ」
「驚いた……驚いた……驚いた……」
「まだビックリなさる事があってよ。あの笠っていうお爺さんね」
「可哀そうに、お爺さんは非道《ひど》いよ」
「あの笠圭之介って人を貴方はホントの犯人と思っていらっしゃる?」
「さあ。わからないね。当ってみない事には……」
「そう。それじゃ当って御覧なさい。あの人ならお兄様に対して無暗《むやみ》な事はしない筈ですから……」
「何だいまるで千里眼みたような事を云うじゃないかお前は……事件の真相を残らず知ってるみたいじゃないかお前は……」
「ええ。知ってるかも知れないわ……でも、それは今云ったら大変な事になって、何もかもわからなくなるから、云わない方がいいと思うわ」
「ふうむ。そんなに云うなら強《し》いて尋ねもしないが、しかしそのわかったって云うのは、犯人に関係した事かい……それとも事件全体に……」
「ええ。そう事件全体の一番ドン底に隠されている最後の秘密よ。トテモ神秘的な……そうして芸術的にも深刻な秘密よ。それさえハッキリとわかれば妾は自分の一生涯を棄てても、その秘密の犠牲になって上げていいわ」
「オイオイ。物騒な事を云うなよ……オヤッ。美《み》いちゃん……泣いているのか」
「……だって……アンマリ可哀そうなんですもの……その秘密の神秘さと、芸術的な深さの前には妾の一生なんか太陽の前の星みたいなんですもの……」
「いよいよ以《もっ》て謎だね」
「ええ。どうせ謎よ。この世の中で一番醜い一番美しい謎よ。それさえ解れば今度の事件の真相が一ペンにわかるわ」
「いよいよわからないね。何だか知らないけど、わからない方がよさそうな気がする」
「ええ。妾もよ。わかったら大変よ」
「いったいいつからソンナ事を感付いたんだい」
「ヤット今夜感付いたのよ。あの女《ひと》と貴方のお話を聞いているうちに……」
「……ど……どんな事だい。それは……」
 兆策が突然に立上った勢がアンマリ凄まじかったので、妹の美鳥も思わず立上ってしまった。そうして少し涙ぐんだまま頬を真赤に染めた。
「あの女《ひと》がね……貴方と向い合って話している横顔を、暗いところからコンパクトの鏡に写してジイッと見ている中《うち》に、妾、胸がドキドキ[#底本では「ドキドキドキ」と誤記]して来たのよ……鏡ってものは魔者ね……やっぱり……」
 兄妹は見る見る青ざめて行く顔を見合わせた。
「ふうん。どうして胸がドキドキしたんだい」
 美鳥はいよいよ涙ぐんだようになって、うつむいた。紅茶を入れかけたままの白いエプロンの端を弄《もてあそ》び弄び耳まで赤くなってしまった。口籠もり口籠もり云った。
「呉羽さんはアンマリ……アンマリ美し過ぎると思ったの……」

 あくる日も引続いた上天気であった。
 夜が明けると、思い切って早起して、いつもの通りに凝《こ》った和装の身支度を済ました女優呉羽嬢は、直ぐに轟家の顧問弁護士、桜間法学士を呼付けた。既に自分の名前になっている自宅の建築と地面を抵当に入れて堀端銀行から一万八千円の金を引出し、その中《うち》から三千円を分けて江馬|兄妹《きょうだい》を呼出し、桜間弁護士立会の上で手渡ししてキチンとした受取を入れさせた。それから弁護士を除いた三人で桐ヶ谷の火葬場にタクシーを乗付け、轟九蔵氏の遺骨を受取って来て故人の自室に安置し、附近の寺から僧侶を招いて読経してもらっ
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