何だって……真実《ほんと》かいそれあ……」
 兆策は飛上らんばかりにして坐り直した。
「シッ。大きな声を出しちゃ嫌よ。外に聞こえるから……ホントなのよ。間違いないのよ。あの女《ひと》は、妾と近しくなりたいために、お兄さんと心安くしていらっしゃるのよ。あの女《ひと》がお兄さんを見送っている眼と唇に気をつけていると、トテモ他所他所《よそよそ》しい冷めたさを含んでいるのよ。お兄さまを冷笑しているとしか思えない事さえあるわ。あたし何度も何度も見たわ」
 兆策は血の気《け》の失せかけた頬と額を、新しいハンカチでゴシゴシと力強く拭いた。
「フーム。それじゃ、お前を好いている事は、どうしてわかったんだい」
「あたし、お兄さんの前ですけどね。あの女《ひと》がこの頃、怖くて仕様がないのよ。……あの女《ひと》はね。妾を好いていると云った位じゃ足りないで、心の底から崇拝しているらしいのよ。トテモおかしいのよ。妾がズット前にあの女《ひと》の部屋に忘れて行った黄色いハンカチを大切に仕舞《しま》っておいて、何度も何度も接吻してんのよ。妾が偶然に行き合わせた時に、周章《あわ》てて隠しちゃったんですけど、そのハンカチにあの人の口紅のアトが残ってベタベタ附いているのが見えたわ」
「ウフッ。気色の悪《わ》りい……ホントかいそれあ」
「お兄さんに嘘を吐《つ》いたって仕様がないじゃないの。いつでもあの女《ひと》の妾を見ている眼の視線は、妾の横頬にジリジリと焦げ付くくらい深刻なのよ」
「ヘエッ。驚いたね。それじゃ……つまり同性愛だね」
「そんなものらしいのよ。持って生まれた性格を舞台の上でイタメ附けられている荒《すさ》んだ性格の人に多いんですってね。呉羽さんなんか尚更《なおさら》それが烈しいのでしょう。ですから妾……お兄さんの事さえなけあこの家《うち》を逃出そうと思った事が何度も何度もあるくらい気味が悪かったんですけどね……ロッキー・レコード会社から専属になってはドウかってね、或る親切な人から何度も何度も云って来ているんですけど、断っちゃってジイッと我慢し通してんのよ」
「馬鹿……何だって断るんだ。そんな美味《うま》い口を……」
「だって妾が二百円取ってお兄様を養うよりも、妾がお兄さまの百円の御厄介になっている方が嬉しいんですもの……」
「うむ。そうかッ……感謝するよ……」
 兆策はモウ眼を真赤にしていた。
「でも……トテモ息苦しいのよ。だって同性愛なんて日本にだけしかない事でしょう。朝鮮《おくに》ではソンナ話、聞いたこともないんですから、ドウしたらいいのかわかんないんですもの。呉羽さんと同じ位に妾が呉羽さんを好きにならない限り、どうする事も出来ないじゃないの。女蛇に魅入られたようなタマラナイ気持になるだけよ。それがトテモ底強い魅力を持って迫って来るんですから尚更《なおさら》、息苦しくなって来るのよ」
「手紙も何も来ないのかい呉羽さんから……」
「イイエ。そんなもの一度も来たことないわ。妾が現実にそう感じているだけなの」
「フ――ム。そうすると……どうなるんだい……ボ……僕は……」
「アラ泣いていらっしゃるの……お兄様は……」
「泣いてやしないよ。怖いんだよ。僕は……」
「チットモ怖いことないわ。お兄様はただあの女《ひと》に欺されていらっしゃればいいのだわ。あの女《ひと》は、まだ轟さんを殺した犯人について疑っていらっしゃるのでしょう……ね……そうでしょう。ですから貴方に頼んで探してもらおうと思っていらっしゃるんですから、その通りにしてお上げになったらいいでしょう」
「何だか訳がわからなくなっちゃった。つまり僕はあの女《ひと》の云うなりになっていればいいんだね」
「ええ。そうよ。こっちがあの女《ひと》を疑っているソブリなんかチットも見せないようにしてね。そうしていらっしゃる中《うち》にはヒョットしたらあの女《ひと》だって、お兄様をお好きにならないとも限らないわ」
「タヨリないなあ。お前の云う事は……モット確《しっか》りした事を云っとくれよ」
「だって将来《さき》の事なんかわかんないんですもの……貴方みたいに正直に、何もかも真《ま》に受けて、青くなったり、赤くなったり……」
「オイオイオイ。電話で顔色がわかるかい」
「アラッ。バレちゃったのね。トリックが……」
「トリック。何だいトリックって……」
「ホホホ。何でもないのよ。あたし今夜あなたのアトから直ぐに家《うち》を閉めて出かけたのよ。だってコンナ時にはトテモたった一人でお留守番なんか出来ないんですもの。家《うち》の中には貴方の原稿以外に貴重品なんか一つも無いでしょう。……それからね。序《ついで》に途中で寄道をしてロッキー・レコードへ寄って契約して来ちゃったわ。一個月二百円で……」
「ゲエッ。ほんとかい……それあ……」

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