》けながら轟氏の居間に消え込んだ。あとから松井ヨネ子が、又気絶されちゃ困ると思ってクッ付いて這入るのを、呉羽嬢は見返りもせずに死骸に近付いて、血だらけの白チョッキに刺さっている短剣の※[#「※」は「木+霸」、第3水準1−86−28、122−8]《つか》の処と、轟氏の死顔を静かに繰返し繰返し見比べていた……」
「スゴイですね」
「ウン。流石は探偵劇の女優だね。大向うから声のかかるところだよ」
「冗談じゃない……」
「それから今度は今の奇怪な足跡を、自分の足の下から這入って来た窓の方向までズウッと見送ると、轟氏の魂が出て行ったアトを見送るように恭《うやうや》しく肩をすぼめて、心持ち頭を下げた」
「ヘエ。少々変テコですね」
「まあ聞き給え。それからタシカな足取で二三歩後に退《さが》って轟氏の屍体に正面すると両手を合わせて瞑目し、極めて低い声ではあったがハッキリした口調でコンナ事を祈ったそうだ。……轟さん。妾《わたし》が間違っておりました……」
「妾が間違っていた……」
「ウン……「この敵讐《かたき》はキット妾の手で……」と……それだけ云うと又一つ叮嚀に頭を下げてから傍《そば》に立っている松井ヨネ子をかえりみた。普通の声で「お前。支配人の笠《りゅう》さんと大森の警察署へ知らして頂戴ね。御飯はアトでいいから……」という中《うち》に淋しくニッコリ笑ったという」
「ヘエエッ。豪《えら》い女があるものですね。まだ若いのに……」
「ハハハ。感心したかい」
「感心しましたねえ。第一タッタそれだけの間に、犯罪の真相を見貫《みぬ》いてしまったのでしょうか。そんな事を云う位なら警察なんか当てにしなくともいいだけの自分一個の見解を……」
「アハハ。何を云ってるんだい君は……これは彼女の手なんだよ。宣伝手段なんだよ」
「宣伝手段……何のですか」
「プッ。モウすこし君は世間を知らんとイカンね。俳優生活をやっている連中は代議士と同じものなんだよ。ドンナ不自然な機会を捉《とら》まえても自分の名前を宣伝しよう宣伝しようとつとめるのが、彼等の本能なんだ。彼等は舞台や議会だけでは宣伝し足りないんだ。所謂《いわゆる》、転んでも只は起きないというのが彼等の本能みたいになっているので、この本能の一番強い奴が名を成すことを、彼等は肝に銘じているんだよ」
「驚きましたね。そんなに非道《ひど》いものでしょうか」
「論より証拠だ。天川呉羽がコンナ絶好のチャンスを見逃す筈がないんだ。果せる哉《かな》、新聞屋連中はこうした呉羽嬢の芝居に百パーセントまで引っかかってしまって、まるで呉羽嬢の宣伝のために轟氏が殺されたような記事の書き方をしているが、吾々警察官は絶対にソンナ芝居やセリフに眩惑されちゃいけないんだよ。下手な探偵小説じゃあるまいし、名探偵ぶった天川呉羽の御祈りの文句なんかを考慮に入れたり何かしたら飛んでもない間違いを起すにきまっているんだからね。誰も相手にしてやしないよ」
「成程《なるほど》ねえ。わかりました。しかし、それにしても、まだわからない事が多いようですね」
「何でも質問してみたまえ。現場に立会ったんだから知ってる限り即答出来るよ」
「第一……にですね。あの窓を明《あ》けて這入って来た犯人が、どうしてわからなかったのでしょう被害者に……」
「ウム。豪《えら》い……そこが一番大切な現実の問題なんだよ。同時に司法主任、判検事も、首をひねっているところなんだよ。あの通り窓の締りは、捻込《ねじこ》みの真鍮棒になっとるし、あの窓枠の周囲には主人の轟氏以外の指紋は一つも無い。しかも、それがあの窓に限って念入りに、ベタベタと重なり合って附いているのだから変梃《へんてこ》だよ。よっぽど特別な……或る極めて稀な場合を想像した仮説以外には、説明の附けようがないのだ」
「ヘエ。轟氏がお天気模様か何かを見たあとで締りをするのを忘れていたんじゃないですか」
「どうしてどうして。被害者は平生から極めて用心深くて、寝がけに女中に命じて水を持って来させる時に、一々締りを附けさせるし、そのアトでも自分で検《あらた》めるらしいという厳重さだ」
「それじゃ家内の者が開けて、加害者を這入らせたとでもいうのですか」
「つまりそうなるんだ……という理由はほかでもない。この事務机《デスク》の右の一番上の曳出《ひきだし》に一梃のピストルが這入っていた。それも旧式ニッケル鍍金《めっき》の五連発で、多分、明治時代の最新式を久しい以前に買込んだものらしい。弾丸《たま》も手附かずの奴が百発ばかり在ったが、それを毎日毎日手入れをしておった形跡があるのじゃから、被害者の轟氏はズット以前から何か知ら脅迫観念に囚《とら》われておったことがわかる。それが仮りに他人から怨《うらみ》を受けているものとすれば、やはりピストルと同じ位に古い因縁
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