実情を、一方《ひとかた》も残らず御存じの事として演出致しますので、従ってその遭難の実情に関する説明は、勝手ながら略さして頂きます。そうしてここにはただ斯様《かよう》な、予期致しませぬ過分の御ひいきのために、万一プログラムを差上げ落しました方が、おいでになりはしまいかと存じますから、そのような方々の、単なる御参考と致しまして、極めて心理的に構成されております各幕の内容を短簡に申上げさして頂くに止めます。
第一幕……探偵劇王殺害事件の遠因――兇賊生蕃小僧と等々力久蔵親分活躍の場面。二場。
第二幕……探偵劇王殺害の動機、及、殺害の現場《げんじょう》。二場。
第三幕……探偵劇王の後継者、天川呉羽嬢、独白、独演。真相説明の場。一場。――以上――」
満場割れむばかりの拍手が起ったが今度は直ぐにピッタリと静まった。舞台の片隅で冷たいベルの音が断続する中《うち》に、幕が静かに揚り初めたからであった。
一階から三階までの窓は全部、いつの間にか閉されていた。場内はたまらない薄暗さと、蒸暑さに埋もれていたが、それでも何千の人が作る氷のような好奇心が、場内一パイに冴え返っていたせいであったろう。扇《おうぎ》の影一つ動かない深海の底のような静寂さが、一人一人の左右の鼓膜からシンシンと沁[#底本では「泌」と誤記]《し》み込んで来るのであった。
第一幕、第一場は、静岡県見付の町外れの国道に面する草原《くさはら》の場面であった。その草原の中央の平石に腰をかけている若親分、等々力久蔵の前に、金モール服の薬売人《オッチニ》に化けた生蕃小僧こと、石栗虎太が胡座《あぐら》をかいて、ポケットの中からピストルを突付け、等々力久蔵の妻君の不行跡を曝露し、嘗て、或る処で、自分が等々力の妻君から貰ったという紫水晶の簪《かんざし》を見せびらかしつつ、甘木柳仙宅襲撃の仕事を見逃がしてくれるように頼み込む。等々力久蔵は暫く考えてから承諾の証拠に、紫水晶の簪を受取り、生蕃小僧と別れる。それから生蕃小僧が立去って後《のち》に、妻と世話人を草原に呼んで来て、証拠の簪を突付け、厳そかに離別を申渡し、涙を払いながら決然として立去る。木立の蔭からその光景を窺っていた生蕃小僧が立出で、腕を組んだまま物凄い冷笑を浮かべて等々力久蔵の後姿を見送り、
「トテモ追出しゃあしめえと思ったが……この塩梅《あんばい》では愚図愚図しちゃいられねえぞ」
と独りでうなずきながら立去る場面《ところ》であった。
続いて舞台がまわると甘木柳仙自宅の場で、等々力久蔵が柳仙夫婦から娘の三枝を借受け、それとなく三枝に左様ならを云わせ、思入れよろしくあって退場する。そのままの場面で日が暮れると生蕃小僧が忍び入り、柳仙夫婦を惨殺し、家《うち》中を探しまわって僅少の小遣銭を奪い、等々力久蔵に計られたかなと不平満々の捨科白《すてぜりふ》を残して立去るところであった。
幕が締ると皆ホッとして囁き合った。
「ねえお兄様。イクラか書換えてあって?」
「ウン。それが不思議なんだ。この幕は大体から見て僕が書下した通りなんだ。あんな大道具をどこに蔵《しま》って在ったんだろう……ただ柳仙夫婦の殺されの場がすこし違うようだね。あんな風に老人の柳仙が頭からダラダラ血を流して拝むところなんぞはなかったよ。キット睨まれると思ったからカゲにしておいたんだがね」
「警察の人は来ているんでしょうか」
「来ていても今晩は何も云わないのが不文律みたいになっているから大丈夫だよ。その代り明日《あす》になるとキット差止めるとか何とか威かして来るにきまっているんだ。もっとも呉羽さんは、それを覚悟の前で演《や》ってるのかも知れないがね」
「……でも轟さんと呉羽さんの前身だけは今の幕で想像が付くワケね」
「ナアニ。みんな芝居だと思って見ているんだから、そんな余計な想像なんかしないだろう」
「そうかしら……でもポオの原作なんて誰も思やしないわよ。あれじゃ……」
「フフフ。黙ってろ。幕が開《あ》くから……オヤア……これあ西洋|室《ま》だ……おれア日本|室《ま》にしといた筈だが……」
「……シッシッ……」
第二幕の第一場は大森の天川呉羽嬢邸内、轟九蔵氏自室の場面であった。部屋の構造から品物の配置、主人轟九蔵氏の扮装に到るまで、すべて実物の通りで、窓の外に咲き誇っている満開の桜までも、寸分違わない枝ぶりにあしらってある。
その東の窓際の寝椅子に、着流しの轟九蔵氏が長くなっている足先の処に、美術学校の制服を着た、イガ栗頭の江馬兆策に扮した俳優が腰をかけている。その前に音楽学校のバンドを締めた美鳥ソックリの少女が姿勢正しく立って、美鳥のレコードを蔭歌にして独唱をしている体《てい》。それを轟氏が、如何にも幸福そうに眼を細くして聞いている。
「うらわかき吾が望み 青々と
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