隅の常春藤《きづた》に蔽われたバンガロー風の小舎には燈火《ともしび》がアカアカと灯《とも》って、しきりに人影が動いている。
 非常な勢いで帰って来た江馬兆策が、妹の出したお茶も飲まない無言のまま、ガタンピシンと戸棚を引開けて、あらん限りの服、帽子、靴、ズボン吊、トランクを引ずり出して旅支度を初めたのを、妹の美鳥《みどり》がしきりに心配して止めているのであった。
「まあ……お兄様ったら……気でもお違いになったの……」
「感謝《コオマプソ》感謝《コオマプソ》。心配しなくたっていいんだ。気も何も違ってやしない」
「だってイツモのお兄様と眼の色が違うんですもの……まるで確証を握ったシャロック・ホルムズか義憤に猛り立つアルセエヌ・ルパンみたいよ。ホホホ。どうなすったの……一体」
「黙って見てろったら。非常な重大事件だから……お前が関係しちゃイケナイ問題なんだから絶対に局外中立の態度で、黙って見てなくちゃイケナイ重大事件なんだからね」
「わかっててよ。それ位の事……轟さんのお家《うち》の事でしょう」
「そうなんだよ。ホントの犯人がわかりそうなんだよ。そいつを僕が突止める役廻りになったんだよ」
「だからウイスキー曹達《ソーダ》を、お引っくり返しになったの……」
「ゲッ……お前見てたのかい」
「ホホホホ。ビックリなすったでしょ」
 兆策は自然木の椅子にドッカと尻餅を突いた。気抜けしたように溜息をして取散らした室内を見まわすと、醜い顔に不釣合な大きな眼をパチパチさせた。
「……ど……どうして聞いたんだい。タッタ今帰って来たばかりなのに……」
 美鳥は淋しく笑いながら向い合った椅子に腰を降ろした。
「何でもないことよ。妾だって今度の轟さんの事件ではずいぶん頭を使っているんですもの。ホントの犯人が誰だか色々考えているうちに、万一貴方が疑われるような事になったらドウしようと思って一生懸命に考えまわしていたのよ」
「フーン。どうして二人に嫌疑がかかるんだい」
「お兄さん御存じないの。昨夜《ゆんべ》十二時頃、轟さんと呉羽さんとが、支配人の眼の前で大喧嘩をなすった事を……」
「知らなかったよ。俺はその頃お前と二人で、ここで茶を飲んでいたんだから」
「ええ。そうよ。ですから妾も知らなかったんですけどね。小間使のイチ子さんが今朝《けさ》になって、その事をおヨネさんに話したんですって……そうしたらおヨ
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