嬢の秘密休憩室で、呉羽嬢自身と、笠支配人とが向い合って腰をかけていた。
 その秘密休憩室というのは、平生劇場用の小道具等を蔵《しま》っておく五階屋根裏の大きな倉庫の片隅を、ボロボロになった金屏風や、川岸の書割なぞで二間四方ばかりに仕切って、これも小道具の塵埃塗《ほこりまみ》れの長椅子と、歪《いびつ》になった籐椅子《とういす》を並べて、楽屋用の新しい座布団を敷いただけのもので、リノリウムの床とスレスレの半円窓の近くにカラカラに乾いた枯水仙の鉢が置いてあるのが、薄暗い裸電球の下で、そうした書割や金屏風と向い合って、奇妙に物凄い、荒れ果てた気分を描きあらわしていて、今にも巨大な一つ目小僧の首か何かが……ウワア……とそこいらから転がり出しそうな感じがする。
 しかし、それでも女優の呉羽にとっては、華々しい楽屋よりもこの部屋の方がズッと落付いて、気分が休まるらしかった。劇場そのものの人気はあまり立たなかったが、それでも彼女個人としての人気は、全国の女優群を断然抜いていて、三階の彼女の楽屋では訪問客を凌ぎ切れないために、彼女はよくこの物置の片隅の秘密室へ休憩に来るのであった。
 フロックコートの笠支配人はかなりの緊張した態度でイビツになった籐椅子の上にかしこまっている。これに対した彼女は派手な舞台用の浴衣《ゆかた》一枚に赤い細帯一つのシドケない恰好で、肉色の着込みを襟元から露わしたまま傍《かたわら》の長椅子に両足を投出しているが、モウ話に飽きたという恰好で、大きな古渡《こわたり》珊瑚《さんご》の簪《かんざし》を抜いて、大丸髷の白い手柄の下を掻いていた。
「それじゃクレハさん。貴女《あなた》と轟さんの間には何も関係はないんですね。普通の関係以外には……」
 呉羽は見向きもしなかった。
「何とでも考えたらいいじゃないの……イクラ云ったってわからない。どうしてソンナに執拗《しつこ》くお聞きになるの。下らない事を……」
「下らない事じゃないんです。これには深い理由があるのです……その……その……」
「アッサリ仰言いよ。モウ直《じき》、次の幕が開《あ》くんですよ」
「この次の幕は……ですね。貴女は、そのまんまの姿で出て、亭主役の寺本蝶二君に槍で突かれるだけの幕じゃないですか。まだ二十四五分時間があります」
「ええ。でもそれあ妾の時間よ。貴方のために取ってある時間じゃないわよ」
「恐ろしく
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