た。そんなら丁度いい。夕飯を喰ってから一つステキな美人を見せてやろう」
「ヘエ。まだ美人が居るんですか。この家に……」
「いや。この家じゃないがね。ツイこの裏庭の向う側なんだ。呉服橋劇場の脚本書きでね。江馬《えま》[#底本では「司馬《しま》」と誤記]何とかいう人相の悪い男が、妹と二人で住んでいるんだ」
「アッ。江馬[#底本では「司馬」と誤記]兆策が居るんですか。コンナ処に……」
「何だ。君は知っとるのかいあの男を……」
「探偵小説を読む奴でアイツを知らない者は居ないでしょう。相当のインテリと見えますが、非常な醜男《ぶおとこ》のオッチョコチョイ、一流の激情家の腕力自慢というところから、よくゴシップに出て来ます。芝居に関係している事は初耳ですが、田舎ダネの下らない探偵小説を何とかかんとかといってアトカラアトカラ本屋へ持込むので有名ですよ。彼奴《あいつ》の小説を読むよりも、写真に出ている彼奴《あいつ》の顔を見ている方が、よっぽどグロテスクで面白い……」
「その妹の事は知らないかい」
「妹が居る事も知りません」
「その妹というのが、真実の兄妹[#底本では「兄弟」と誤記]《きょうだい》には相違ないんだが、音楽学校出身の才媛で、兄貴とはウラハラの非常に品のいい美人なんだ。何でも、死んだ轟氏がパトロンで兄妹の学費を出してやったという話だが、その妹と轟氏との関係の方がダイブ怪しいらしい」
「ああ。もうソンナ怪しい話はやめて下さい。ウンザリしちゃった」
「イヤ。今度の事件とは関係のない、全然別の話なんだ。何でもその歌姫《ソプラノ》を轟氏が可愛がっているお蔭で、兄貴までもが御厄介になっているらしいという、松井ヨネ子[#底本では「子」が脱落]の話だがね」
「ウルサイ奴ですね。アノ飯焚女《めしたきおんな》は……」
「おお。女中といやあ今の小間使の市田イチ子もチョットういういしい、踏める顔だよ。紹介してやろうか。今に茶を持って来るから……」
「イヤ。モウ結構です。僕は帰ります」
「まあいいじゃないか。ユックリし給え。君は女が嫌いかい」
「探偵小説があれば女は要りません」
「そんな事を云うもんじゃないよ。まあ見て行けよ。別嬪《べっぴん》の顔を……」
「イヤ。帰ります。お邪魔をするといけませんから……」
「アハハハハ。コイツはまいった……」

 ちょうどその時分であった。呉服橋劇場五階に在る呉羽
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