袖口でシッカリと拭い上げてから、舞台正面、中央の青ずんだフットライトの前まで来ると、大きな眼をパチパチさせてビックリしたように場内一面の観衆を見まわした。……すると……その背後の天井裏から新調らしい、真白い緞子《どんす》の幕がスルスルと降りて来て、一切の舞台面を霧のように蔽い隠した。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒホホホホホホホホホハハハハハ……」
底の抜けるほど朗らかな、明るい呉羽の笑い声が、満場におののき渡った。
トタンに場内の片隅から、低いけれどもケタタマシイ、慌てた声が起った。
「芝居だよ芝居だよ。タカが芝居じゃないか。ビクビクするな。シッカリしろ……シッカリして舞台を……アッ。いけねえいけねえ。脳貧血脳貧血。チョット誰か……来て……」
そうした若い男の声が、一層モノスゴク場内を引締めた。
しかしその声の方向を振り向いて見る者すら居なかった。場内はさながらに数千の人間を詰めた巨大な花氷のように冷たく凝固してしまっていた。その中《うち》に呉羽の笑い声が今一度華やかに、誇りかに閃めき透り初めた。
「ホホホホホホハハハハハハ……。いかがで御座います皆様……おわかりになりまして? 轟九蔵を殺したのは私だったので御座いますよ。皆様からこれほどの身に余る御引立を受けまして、轟九蔵からあれほどまで可愛がられておりました私だったので御座いますよ。ホホホハハハハハ……。
……その殺しましたホントの理由と申しますのは……どうぞ恐れ入りますが今晩のお芝居を、第一幕から今一度繰り返して御考え下さいまし。当劇場の探偵劇を御ひいき下さいます皆様は、すぐに御察し下さることと存じます。
……私は、父の甘木柳仙が老年になってから生まれました長男だったので御座います。そうして只今も取って十九歳に相成ります甘木三枝と申す男の子なので御座います。ハハハハホホホホホ……私の実父の柳仙は旧弊な人間で御座いましたので、老人の一人子は、その子供の性を反対に取扱って育てますと……女の児《こ》は男の児《こ》の通りに……又男の児《こ》は女の児《こ》の通りにして育てますと、無事に成長させる事が出来る……とよくソンナ事を申します迷信から、わざわざ私を女の児《こ》という事にして三枝という名前を附けて役場に届けまして、それから何もかも女の児《こ》として育てられながら、だんだんと大きくなってまいりますうちに、私自身でも
前へ
次へ
全71ページ中68ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング