で……ヘエ……」
「非道《ひど》い事をするなあ。そんで女だったかい」
「……それがその……野郎なんで……」
「プッ。馬鹿だなあ。それからどうしたい」
「それっきりでさ。……ウンザリしちゃって放《ほ》ったらかして来ちゃったんです」
「何故《なぜ》海に投《ほう》り込まねえ」
「それが誰にも見つからねえように放り込みたかったんで……親方や機関室《ダンブロ》の兄貴《あにき》達にも申し訳ねえし、おまけに上海《シャンハイ》で、あっしが談判に行った時に船長《おやじ》が入歯をガチガチさして、こんな事を云ったんです。あの小僧をタタキ殺すのに文句はないが……」
「チョット待ってくれ。たたき殺すのに文句はないって云ったんだね」
「そうなんで……しかし死骸は勿論、髪の毛一本でも外へ持ち出したら只《ただ》はおかないぞッ……てね。そう云って船長《おやじ》に白眼《にら》み付けられた時にゃ、あっしゃゾッとしましたぜ。あんな気味の悪い面《つら》ア初めてお眼にかかったんで……ヘエ……まったくなんで……」
「フーム。妙な事を云ったもんだな」
「そう云ったんで……何だかわからねえけども……万一見付かって首になっちゃ詰まらねえ。事によるとあの二|挺《ちょう》のパチンコで穴を明《あ》けられちゃ叶《かな》わねえと思って、そのまんまにしといたんです。まったくなんです」
「案外意気地がねえんだな……手前《てめえ》は……」
「まったくなんで……それからっていうものあの死骸の事が気になって気になって今日は運び出そうか、明日《あす》は片付けようかと思ううちに、だんだん船にケチが附いて来るでしょう……死骸は腐って手が付けられなくなって来るし、わっしゃもう少しで病気になるところだったんで……もう懲《こ》り懲《ご》りしました。どうぞ勘弁《かんべん》しておくんなさい。あやまっても追付《おっつ》くめえけんど……」
「ハハハ。そんな事《こた》アもうどうでもいいんだ。今日は文句はねえ。手前《てめえ》行って大ビラであの死骸《コツ》を片付けて来い。船長《おやじ》には俺が行って話を付けてやる」
「ヘエッ。本当ですかい親方ア」
「同じ事を二度たあ云わねえ」
「……ありが……ありがとう御座《ござ》んす。すぐに片付けます。……ああサッパリした」
「馬鹿野郎……片付けてからサッパリしろ」
 兼はS・O・Sの金モールの骸骨《コツ》を胴中《どうなか》から真二《まふた》つにスコップでたたき截《き》って、大きなバケツ二杯に詰めて出て来た。甲板に出て生命綱《いのちづな》に掴《つか》まり掴まり二つのバケツを海の上へ投げ出したが、その骨の一片が、波にぶつかって、又、兼の足元へ跳ね返って来た時、兼は真青になってその骨を引掴《ひっつか》むと危《あぶな》くツンノメリながら、
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》ッ……」
 と遠くへ投げた。
 それは兼の一生懸命の震え上った念仏らしかったが、とてもその恰好《かっこう》が滑稽《こっけい》だったので、見ていた俺はたった一人で腹を抱えさせられた。
 アラスカ丸は、それから何の故障もなくスラスラと晩香坡《バンクーバ》へ着いた。
 同じ波の上を、同じスピードで……馬鹿馬鹿しい話だが、まったくなんだ。
 ところで話はこれからなんだ。

 船長の横顔は見れば見るほど人間らしい感じがなくなって来るんだ。
 骸骨《コツ》を渋紙で貼《は》り固めてワニスで塗り上げたような黒光りする凸額《おでこ》の奥に、硝子玉《ガラスだま》じみたギラギラする眼球《めだま》が二個《ふたつ》コビリ付いている。それがマドロス煙管《パイプ》を横一文字にギューと啣《くわ》えたまま、船橋《ブリッジ》の欄干《てすり》に両|肱《ひじ》を凭《も》たせて、青い青い空の下を凝視しているんだ。その乾涸《ひから》びた、固定した視線の一直線上に、雪で真白になった晩香坡《バンクーバ》の桟橋がある。その向う一面に美しい燈火《ともしび》がズラリと並んでいようという……ところまで、やっと漕《こ》ぎ付けたんだがね。文字通りに……。
 その桟橋の上に群がっている人間は、五日ほど遅れて着いたアラスカ丸をどうしたのかと気づかって、待ちかねていた連中なんだ。
「S・O・Sの野郎……骸骨《ほね》になってまで祟《たた》りやがったんだナ……」
 船長《おやじ》が突然《だしぬけ》に振返って俺の顔を見た。白い義歯《いれば》を一ぱいに剥《む》き出して物凄《ものすご》く哄笑《こうしょう》したもんだ。
「アハハハハ。イヤ……面白い実験だったね。やっぱり理外の理って奴は、あるもんかなあ……タハハハ。ガハハハハハ……」



底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年3月24日第1刷発行
※表題の「難船小僧」には、「S・O・S・BOY」とルビがふられています。
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