―能がわからないでは、見識にかかわると思っているからおかしい。アワよくば能を鼻でアシラって遣ろう。能楽の内兜を見透かして、能楽師を恐れ入らして遣ろう……ぐらいの了簡で、初めからわかったような高慢な顔をして楽屋を覗きに来る馬鹿が多い。
 能は学問や知識でわかるものでない。全く無学な人間が、全くの生命がけで演出する芸術である。植物や動物が、無知無学なまま生きよう生きようとする切ない努力によって、今日のように美しい形態にまで進化して来たように、能は芸術的に生きよう生きようという絶体絶命の努力のうちに、世間の一切を無視した全くの無知無学のまま今日の程度にまで進化して、まだまだ進化して行きつつ在る舞台芸術である。だから能を見る人も自分の一切を棄てて草木、禽獣と同様の無知無学の痴呆になって、生命がけで見なければわからない恐ろしい芸術である。利いた風な了簡で覗きに来る連中には百年経ったってわかりっこない。
 そのうちに吾が探偵文壇の双星のこうした批評を得たことは近来の痛快事である。
 こんな風に能を本当に見得る人間は探偵文壇にだけしかいないのであろうか。純素人として、全霊を裸体にして能と四ツに取り組
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