く見る事が出来る。
 嘗て帝劇が出来て女優を養成した事は、上流の東京人の裏面の生活に一新生面を開いた。それ以後、歌劇女優、女流声楽家等いう各種の職業婦人? が日本の芸術家に生み出されて、あまねく上流人士に新しい美の世界を提供した。
 その美のグループが今では暁の星のように光りを喪《うしな》った。活動女優全盛の世となってしまった。
 新しいスターが次から次へと現われる。その技巧が如何に下手《へた》で、その美が如何に甚だしく塗り飾られたものであるかは誰しも認むるところであろう。その傾向が震災後特に甚だしくなった事も、「そういえば成程」とうなずかれるであろう。

     女優は資本か玩具か

「芝居をする役者は、フイルムに入れると実感を壊すからダメだ。殊に日本の女は芝居をし過ぎるか、いじけ過ぎるかしていて、とてもアカン。野生のノビノビした女を探すに限る」
 というわけで、撮影場の首脳者が、帽子目深に東京の街頭をウロ付くようになったのは、二三年前の事である。
 一方に、現在の日本の活動会社の成功不成功の一面は、会社の役員が女優を自分のオモチャにするかしないか……言葉を換ゆれば、上流人士のオモチャに提供して資本の世話をさせるかさせないかにあるとさえ云われている。
「女優は活動会社の資本である」
 という意味を芸術的の意味に考えているファンがあったら、その人は最も幸福なファンであろう。

     上流人の女狩り

 現在、或る大フイルム会社では、女優撰択や教育等をその撮影場の重役と監督の考え一つに任せている。そのためにそのセット付属の女優は、いつも重役や監督の御機嫌を伺わなければならぬ。セット以外の処で甘い筋の試演に応じなければならぬ。でなければ、スターとしての運命は暗黒になる。ほかの会社の者はこれを羨しがっている。
「あの会社は大きいから、女優を富豪に売り付けなくとも、資本に事は欠かぬ。貧乏会社は女優を二重にも三重にも抵当に入れるので、こちとらの手にはまわらない」
 と。この話は一つの常識としてその仲間に語り合われている。
 以て推して知るべしである。
 次は上流人士の「女狩り」の話に移る。

     警官に対する誘惑

 上流人士の美の要求に対する仲介業は、昔から東京に沢山ある。待合、ホテル、料理屋等いうのは問題にしなくていい。女衒《ぜげん》、桂庵はどちらかといえば表面的にやっている。その他、出入りの理髪師、その他の商人で極めて裏面的にやっているものは数限りない。大きいところでは旧式の政治家、又は所謂政商なぞにも、商売上この手腕を振う者がいくらでもある。彼等はあらゆる手段で、あらゆる方面に「玉」を探している。
 彼等が今度の震災のドサクサを機会に、どれだけ沢山の「玉」を探し出したかは想像に余りある。
 しかし、こうした職業的、又は半職業的な周旋人にかかると、いい食い物にされる上に、あとがウルサイ。のみならず愉しみも薄い。そこでもっと秘密な、もっと巧妙な、そうして新しい味をしめようと種々に苦心をする。
 象潟《きさかた》署保安係の某氏は記者にこんな事を云った。
「この頃、上流の堂々たる人が私に『珍らしい女は居ないか』とよく尋ねられます。私は熊本県人ですが、どうもそんな方面には暗いので、いつも返事に困ります」
 と。記者がもし外国にこうした実例のある事を聴いていなかったならば、どんなに驚いた事であろうか。
 彼等上流人士は、自分の財産や権力の魔力を自惚《うぬぼ》れた結果、神聖な警官を女衒と間違えるようになった。幸いにして吾熊本県人某君はこの誘惑にかかっていなかった。御蔭でこのような証拠を記者に掴ましてくれた。記者は満腔の敬意と謝意とを表しないわけに行かぬ。
 しかし、東京市中のすべての警官が果してこの誘惑から免れているであろうか。彼《か》の震災に続く大騒動と新警官の採用は、却《かえっ》てこのような誘惑に乗ぜられる機会を作りはしなかったろうか。
 記者はその実際を見ている。
 しかし判断は読者の自由に任せる。

     不良老年の辣腕

 かように東京の風紀頽廃の原因を煎じ詰めると、
「不良老年が悪い」
 という事になる。不良老年とは所謂成功者、又は伝統的の有力者で、つまり上流社会に於ける相当の年輩の人々である。
 今度東京で知り合いになった司法官や教育家――と云うと大層立派であるが実は刑事や学校教員――でこの事を口にせぬものは無い。殊に刑事や巡査は、平生、彼等上流社会から抵抗すべからざる圧迫を受けているので、この実情をよく知っていると同時にその怨みも深い。
「震災後、私等は下層社会の堕落よりも、上流社会の堕落を余計に見せ付けられるようです。社会主義はこんなところから起るのかも知れませんね」
 とさえ云う。
 事実、彼等権力者、もしくは金力者は、混沌たるバラック都市の裡面に遺憾なく魔力を揮っている。それ程左様に新東京ではイージーに女が得られるのである。
 震災は大地からあらゆる女の塵《ごみ》をたたき出したらしい。
 その結果、上流人士の女道楽が次第に進んで来て、変態性欲にまで高潮して来た。安くて手軽なバラック建築の流行は、一層こうした傾向を助けた。毒々しい刺戟の強いバラック式の装飾は、こうした趣味の背景となるのに最もふさわしいのである。
 たとえば……と云い出すと、これ又無限にある。

     小事務所の秘密

 彼等上流人士が、東京市内到る処に建てている小事務所や、市街の各方面に建てている小住宅には、こうした趣味の享楽物が多い。
 表の方の事務室、又は応接室らしい処には暗い電燈……裏手の方には白昼を欺く光線を洩らしている家が数限りなく発見される。そんな家は、写真屋その他の特殊の工場でない限り、又は宿直の者が電流を盗用しているのでない限り、何かの秘密を含んだ家である。殊に表に何々事務所と書いてある以上、怪しいと思わぬわけに行かぬと、或る刑事は語った。
 このような見すぼらしい事務所から、眼の醒めるような美人が現われて、ピカピカした自動車に乗って去る光景を、近頃の東京人はあまり怪しまなくなった。これも震災の御蔭であろう。
 又近頃、東京には自動車が殖えると同時に、運転手も殖えた。彼等がその乗せた主人の行く先を決して口外せぬという事は、その運転手たる資格の中で最も大切な一つである。しかし彼等の仲間同志には、この秘密が輪に輪をかけて発表されている。

     特別収入煙草買い

 彼等自動車運転手連の話に依ると、震災後の東京には、彼等の所謂私設待合が到る処に殖えた。その待合では、普通の待合でも出来ない事が行われる。あんな事がある、こんな事があると、彼等は眼を丸くして語る。その中の一つとして、ここに書く事が出来る話がないのは遺憾である。只、彼等上流人士の最高? 道楽である賭博と性的遊戯……麻酔と昂奮のあらゆる方面に、最近に於て支那式と西洋臭味が加味されて来た事が、運転手の話に依って推察されると云い得るだけである。
 尚、彼等の話に依ると、私設待合には特別なのがある。彼等は、夜半、美人と弗旦《ドルだん》らしいのを乗せる光栄を有した場合に、郊外の人跡|稀《まれ》な処でよく買い物に遣られる。これは真面目に買いに行かなくてもいいので、暫くそこいらで様子を見た上で、こんな物を売る店はありませんと云って帰って来ても、旦那は格別残念そうな顔をしないのが多いそうである。
 彼等はこれを「煙草買い」と名づけて、特別収入の一つに数えている。
 又、或る秘密フイルム周旋業者は、電車の中で記者にこんな話をした。

     変態性欲用具

 彼等の秘密映写は、いつも当り前の上流人の家庭ばかりで行われるのではない。堂々たる帝都の大通りに並んだ、金看板の事務室の裏二階や地下室等でも行われる。そのような処で彼等は、最近、奇妙な事実を発見し出した。
 初め、鞭《むち》、拍車、鞍《くら》、手綱なぞいう乗馬用具を見た時は、格別怪しいと思わなかった。
 毛皮や短銃《ピストル》、短剣なぞを発見した時も同様であった。
 支那や朝鮮にあるという手枷《てかせ》、足枷があるのは、一種の標本かとも思えた。
 只それだけであったが、その後度々こうした処に招かれているうちに、これらの器具の不思議な働きがわかった。
 秘密フイルム映写の場合は、一方の壁やカアテンがスクリーンに応用されるので、器械貸の場合でない限り、映写技師は別室から小さな穴を通じて映写せねばならぬ。無論、内部でどんな人間が、どんな態度で見物しているかわからないように出来ている。
 ところがそうなると、いよいよのぞきたいのは人情である。遂に彼等の中には、いろんな工夫をして、中をのぞきながら映写する方法に成功するものが出来た。
 その実見談は、遺憾ながらここに書く事が出来ぬ。只、前に述べた不思議な道具の使用法が如何に深刻なものであるかを、彼等はあらかた知る事が出来たと云うに止めておく。
 勿論、この話は彼等の話の要点だけであって、作り話や針小棒大と思われるところは皆|削《けず》った。
 信ぜられぬと云う人は、信ぜられぬ方がいいかも知れぬ。

     上流婦人の堕落

 他所《よそ》では知らぬ。
 東京の女道楽に飽きた男は、次第にこうした変態性欲に落ちて行く。平凡な春画の他に、血を流す美少年、猛獣に喰われる美女なぞの絵を愛好する。そのような幻想に近い実感を得ようとあせっている。
 東京人の堕落は、こうして爛熟期が糜爛期に入って行く。
 上流婦人の堕落は、更にこの傾向を助けている。
 所謂紳士淑女の裡面が如何に醜いものであるかという事は、今に初めて知られた事でないが、今日の如く表面的に、当り前であるかのように露骨になった事はまだ聞かぬようである。
 東京又は東京付近に居る上流の婦人、殊に未亡人たちの或る要求を満たす機関は、男のそれと同時に昔から東京にあった。役者、蔭間《かげま》、力士、その他の芸人、占者《うらない》、祈祷師、絵草紙、薬種、化粧品の行商人等の中にこの種の商売人が居たのであるが、今ではずっとこの範囲が広まっている。

     色魔的商売人

 上流の婦人を相手とする色魔的商売人は様々の仮面を持っている。
 音楽や茶の湯、生花の師匠に怪しいのが少くない。近頃では、美容術師やマッサージなぞいうのが盛に上流の家庭に出入りして、婦人を直接間接に誘惑するそうである。
 又、何々光線、又は気合術、呼吸法なぞいう新治療の出張応需式なのも逐次増加の傾向である。甚だしきに至っては、仏教や基督《キリスト》教の牧師、又は家庭教師と称するもので、怪しい商売をするものが殖えたと聴いた。
 こんな商売は、遊芸や何かの師匠と違って、素人でも割合い手に入り易いと同時に、上流の家庭に出入りするのにも都合がいい。逆に云えば、上流の家庭から電話や何かで自由に呼び出しが利く便利がある。又、その家庭の秘密を掴む上にも好都合なので、扨《さて》こそかように流行するのだと云う。
 このような色魔式商売の中で、最も斬新奇抜と思われるのは保険会社の勧誘員である。

     最新式の色魔業

 このような保険会社員は、眼星をつけた夫人や未亡人に時間を見計らって電話をかけて、面会の許諾を得る。次に堂々たる男振りと、立派な保険会社の名刺を振りまわして面会に来て、加入の許諾を得る。勿論、この間《かん》には何回も断られたり、追い返されたりするのであるが、そこを根よく押して行くと、相手の方が次第に動いて来る。そこで加入? をすすめて、金を払込ませて、受取を渡す……とは表面で、金は本物、受取は偽ものである。しかも相手の夫人が承知の上だから恐ろしい。
 元来が保険会社の事だから、何回尋ねて来ても不審を持たれるようなことがすくない。未亡人は勿論の事、夫ある婦人でも、旦那の留守勝ちな場合なぞは殊に便利である。そうして関係を続けようとやめようと自由自在で、保険会社員として他の処で面会したり……今一歩進んで、相手の婦人の法律顧問になったりする事も可能である。
 只、この間
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