た事よ。なんでも、羊と二人して紅と白との腕を振るってね、クロールをみせびらかしてやりました。そればかりか、海の真中の赤ハタまで行って、不良少年をこらしめてやりました。
「オーイ足長まてまて」とあとから変な人が泳いで来ましたが、皆ここまで来られないで帰ってしまいました。羊と二人して大いに笑ってやりました。気が清々しました。
毎日羊だの、松本君、喜多君、徳川君等と一緒に泳いでおります。不良の病ますます重くなるを知るべし。
若い西洋人も羊と仲よしです。それで皆で「マルオニ」をして遊びます。おしまいに人がたかるので一勢に海へと飛び込みます。
もう手足の紅色でビリビリします。帰る頃はタドンのオバケでしょう。すみちゃんもよしちゃんも皆一緒です。としちゃんは大分上手に泳ぎます。よく笑うので方々で可愛がられています。そしてもう真黒くなりました。元気でピンピンはねています。
チクオンキ毎夕ですって? うらやましいわ。チャールスレイ君すきなの? 本当に加勢が出来てうれしい。二人で大いにやるべし。
菊池さんの真珠夫人(トテモモーレツな本)を読んで、女は大いに不正してよろしいものだという事がわかりました。
ただしこれは処女のみにかぎるよ。又東京のはなしして。ハイチャイ。
それから山口家のニワトリの家内の病気は如何。
 大正十三年七月二十七日真昼
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]みつ子から
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はま子君へ
……………………
[#ここで字下げ終わり]
 この手紙を見て、そのお転婆ぶりに驚かぬ人はなかろう。海水浴で若い男に取捲かれて得意になり、女の友達を何子君と呼び、怪しい新語や俗語を振りまわすところ、その見方、考え方等、皆現代式のハネッ返りである。殊に「女は不正なるべし、但《ただし》処女に限る」とか、「不良病|益《ますます》重《おも》る」とかいうあたり、冗談かも知れぬが舌を捲かざるを得ない。果然、一人の不良少年は鎌倉海岸の脱衣場で彼女の袂からこの手紙を盗み取ると、彼女を与《くみ》し易いと見込んだ。仲間と謀《はか》って彼女の居る宏壮な別荘を調査し、魔の爪を磨いていたのを、東京から尾行して来た刑事が引っ捕えたのだという。

     少女のラブレター(一)

   ……………………
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お懐しい
芳夫様、お手紙を有難う御座いました。私は、私の胸はどんなにか轟《とどろ》いた事でしょう。ふつつかもの花子に愛するというお言葉……何だかもったいないような気が致しますの。けれども貴方の淋しいみ心を省り見ますれば……本当にお察し致します。新ちゃんという方は、誰の前でもはばからずなんでも話す方ですから、純な清いお友達として、Sとして御交じわり下さいませ、お願い致します。
まだまだ書きたい事がございますが、何からお話し致してよいか……今日、私、お会いしたかったのですけれど、或る事から急に厳しくなって、夜は外へ出てはいけないと云うので、どうしても出られませんでしたの。どうぞあしからずお許し下さいませ。
それでは悪筆乱文お許し下さいませ、さよなら。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]幸多き  花子
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永久に永久に
 芳夫様みハートに
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 文体で見るとこの少女はまだ若い。相手を不良少年と知らずに謹んで書いている。一方に両親からもその危険性に気づかれて悩んでいる。極めて平凡で、こんな少女はいくらでも居そうである。そうして恐ろしく危いところである。或は最初の危機を通過しているかも知れぬと思われる節がある。尚、文中Sとあるのはシスター(同性愛の事)の略字であるが、ここではそんな意味はない。同胞という意味らしい。

     少女のラブレター(二)

   ……………………
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御許様には、昨夜私の留守に御電話を掛けに成り、さぞかし私が居りませんので御立腹遊ばされ、私を御うらみなされたでしょう。雨降ります所をお出下され、まことに相済みませんでした。私、いつもの所へ一時半頃行って待っておりましたが、御出に成りませんので、雨が降っておりますから、きっと入らっしゃらないのかと思い、私宅へ戻って来まして、用事がありましたので出掛けたあとへ、吉井様からのお電話でした。私、戻って来てすぐ第一の処へ行って見ましたが、恋しい吉井様の御すがたが見えませんでした。
私の写真をこの中へ一緒に同封してありますから、どうぞこの間お約束致しました通り、どなたにも見せないで下さい。御願いを致します。又こんど出来ましたら差上げます。
それから恋しき吉井様の御写真をどうぞ一枚御送り下さいませ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]M子より
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私の永久に愛する
 吉井様ハートへ
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 この少女は前の花子よりもませている。関係も進んでいるが、不良少女でない事は写真の送り方でわかる。却て旧式の立派な家庭に育っている、家庭のお嬢さんと思われる節がある。吉井という男に引っかけられて、いい加減にされているらしい事が略《ほぼ》推測出来る。前のと同様にハートなぞいう言葉をこんな風に使うところは、どう見ても江戸ッ子でない。

     少女のラブレター(三)

   ……………………
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毎日青くなったり赤くなったり、七面鳥で、随分大変でしょう。御察し致します。七面鳥さんのために私随分祈っていますの。ですから、あんまり七面鳥になって心配しなくとも、大てい落っこちないから御安心遊ばせ。
十一日ね、随分待ちましたのよ。いくら待っても入らっしゃらぬのですもの。ほんとに悪々《にくにく》しくなってしまいましたの。もう真琴ちゃんの云う事なんか聞き入れない事に定《き》めてしまったの。御自分から話し出しておきながら、入らっしゃらぬなんかあんまりですわ……ほんとに貴方は嘘|吐《つ》きね……それは全く私の方が嘘つきなのよ。御免なさい。
私もあの日は朝から気分が悪くて寝ていましたの。三日間会社を休んで、月曜から床の中で暮しました。けれど床の中で何事も忘れて、真琴ちゃんのタメに祈りましたの。今度の試験は成績良好でしょうよ。三日も会社を休んで祈っていますもの? こんな思いをしているのに、真琴ちゃんは一人音楽をのん気なかおして聞いているなんて、ほんとにあんまりと、プリプリ内心怒っておりましたの。でもレター拝見して、やっと胸が落ちつきましたわ。二十一日にきっと行きますわ。それまでは苦しみね。でも今日は十六日でしょう。後五日すぎれば御逢いできるのね。試験がすむと、後はしばらくお休みでしょう。そうなると真琴さんがうらやましくなってしまいますわ……。
御休みになったら、御都合のよい時に春の海……ほんとうに行きましょう。どこがいいでしょう、よろしく願います。
真琴さん。いつも御無沙汰ばかりして済みません。決して忘れているのでは御座いませんのよ。一時だって忘れやしませんわ。けれど悪筆の筆不精故、悪いとは思いながらついサボってしまいますのよ。御免なさい。さらば。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]とき子拝
 愛する真琴様
   ……………………
 書いた主は職業夫人で、相手は学生? である。文章は雑誌や小説に影響されたところが到る処にあって、調子だけは現代式であるが、最初に出したみつ子のそれのように気持ちまで現代式でもなければ名文でもない。世間なれていて男も珍らしくないらしく、甘い言葉が力なく上辷りしている。職業婦人らしい気の疲れも見える。しかし、男性に誘惑され易い気の弱さがよくあらわれている。そこにつけ込んでいる男の手加減も見すかされるようである。

     少女のラブレター(四)

[#ここから1字下げ]
恋しき玉雄様!
先夜は申訳ありません。ほん当にすみませんでした。すまないすまないという思いで……お許し下さいませ。
あの夜、皆の眼をかすめて家を出たのでした。松坂屋の前へ参りましたが、恋しきあなたのお姿が見えません。私が後《おく》れたので、もしやお怒りになってと思って、辺りを捜しましたが見当りませんでした。再び松坂屋のところへ引返してお捜ししたのですけれど、遂に懐しいあなたのお姿は見当りませんでした。
で、丁度八時半に広小路から電車に乗って、芝園橋行の電車に身を任せましたの。金杉橋でのりかえ、一の橋までまいりましたの。でも時間は刻々と迫って……時の神がうらめしくなりました。もっと先まで行って、あなたに逢うべく……決心しましたけど、もう十時近くなりましたから……残念でしたけれども、芝園橋で乗りかえて帰宅いたしましたのよ……。
宅を出ます時に、十時迄に帰るように申して参りましたから……あなたに逢うべく一の橋までゆきましたが、せめて一時間でも、否、一分間でも……そしてあなたの温い胸に……しっかりと抱かれて……と、そればかりを希《のぞ》んでおりましたのに、予想はすっかり裏切られてしまいましたの……あなたに会えたらどんなに幸福だったでしょう? ほん当に残念でなりませんわ……もしも自由の身であったならと、いつもそればかりを……。
家へ帰って参りまして、茫として何物も手につきませんでした。他の人々から、どうかなさいましたのと云い寄られても、それに答える事も出来ませんでしたの……二時過に床に入りましたけど、あなたの事ばかり思い出して……眠られませんでしたの。すまないという心で私のハートは満ちておりました。
束縛を呪い、自由を渇仰する私は……この泪《なみだ》する淋しい妹を慰めて下さいませ……。
いつもいつも、どうせ生きるなら、もっともっと意義のあるように生きたく……望んでおりますけど、けれどけれど私の願いはすっかり裏切られて了《しま》いますの。ミゼラブルな人生を……歎き悲しみましたの。歎いたとて応える何物もありませんでした。玉雄様――こう叫んだ時に、あの四月十日がほんとうに慕わしくなりますの。そうして、まぼろしのようにあなたの面影が表われ……私はたまらなくなりました。そして、そのまぼろしに対して私は何か囁きたかったのですけど、併しそのあなたの面影は長くは続きませんでした。なつかしく、また慕わしかったけれども、私はあなたのまぼろしに無言のうちに別れを告げてしまったのです。噫《ああ》、こうした中にも物淋しい生命は刻々と過ぎて行きます……筆を止めて、静かに黙して、祈るともなく祈る時……私の全身は氷のように冷たく……私の瞳はいつしかうるおいをおぼえました。私はただ泪にうるむ眼をとじて思考すること五分間……又となき若き日の思い出は……ああ、頼もしくもあり寂しくもある日は……時の運行! 尚相変らず慌《あわただ》しゅう御座いますのね。
乱筆お許し下さいませ。そして長い長いお便りを首をのばして待っております。玉雄様、ほんとに親しく、何でも赤裸々に仰言《おっしゃ》って下さいませ……。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]一九二四、四、三〇 夜
[#地から1字上げ]すえ子
[#ここから1字下げ]
なつかしい……私の
 玉雄様御許へ
二伸
誠に恐れ入りますけれど、お写真がありましたら、
一枚お恵み下さいませ。お送り下さってもよろしゅう御座います。私のもお送りしちゃ不可《いけ》ないでしょう? でしたらお目にかかった時に、あなたのお手にさし上げますわ……ほんとに貧弱ですが。
今度会われる時は午後の三時頃で御座いますわ。
夜は絶対に出られないのですもの……昼ならよろしいのですけど。二十九日に逢われなかったのが何より残念ですわネ。
一の橋まで行ったのに……も少しであなたのお家でしたのに……いつかは神様が……その時を楽しみに待っております。
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 この文を通じて、この少女の家庭は真面目である。女学校の上級生位の年頃で、しかも人生とか、自分の心とかいうものに対して、少女には珍らしい程はっき
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