云う迄もなく東京であった。
 然るに、維新後の日本の教育は、智識教育に偏り過ぎていた。本能、真情等の、所謂人間味の教育の方はお留守になっていた。この事実は万人の認むるところで、「性教育」などが高唱されるのも、このような欠陥がある事を証明しているのではないかとさえ考えられる。
 この欠陥は現代の婦人(勿論男子も)の性格の上に遺憾なく現われている。現代婦人は名誉を重んじ、人格の意味を解し、新智識と見識とプライドを有している。そうして、このようなものを弥《いや》が上にも刺戟し、向上させ、極端化するのは東京である。
 但、それは智識と見識とプライドの上だけである。彼女達の本能、又は盲情というものは、持って生れたままなのが多い。只、その盲情や本能の発露を、極めて自然的に合理化する智識と弁才を持っているに過ぎぬ。
 彼女達は、嫁いだ家、又は夫の名誉、手腕、財産等に奉仕せねばならぬ不平を、何者かに依ってなぐさめてもらわねばならぬ理由を持っていた。
 彼女達は、自分の智識や容貌の権威に媚び、且つ盲従する異性が欲しかった。さもなくとも、男性の秘密境――とそこに流露される男の真実性を認め得る年頃になった時、彼女達の智識は、当然、男子と同様に心の自然を求め得る理由を発見した。
 彼女達は皆、実際上か、又は空想上の「若い燕」たるべき相手を求めていた。

     地震と智識階級婦人

 彼等智識階級の婦人は、それでも永年の習慣で、そうそう思い切った事をし得なかった。筑紫の女王白蓮夫人? を初め、日向きむ子、神近市子、平塚明子、又は武者小路夫人などいう人々の、所謂合理的な行いを、彼女達は口先だけででも驚き呆れていた。彼女達は彼女達の自然(獣性)を彼女達の不自然(良心)の城廓に封じ込めていたのである。
 ところへあの大震災である。
 彼《か》の土煙と火煙は、彼女等の頭の中のこうした城廓を、かなり烈しく打ち壊した。これと同時に、夥しい「若い燕」が東京市中に孵化して飛びまわる事になった。
 曠古《こうこ》の大震災はこのような人々を一様に単純化した。情熱化した。智識、見識、プライド、又はこれに伴う人格等のすべてを奪い去って、平等に本能の飢渇に陥れた。明日をも知れぬ運命を、引き続く余震で暗示した。彼等は、最も浅ましい事以外に、最も貴いことを認めなくなった。
 しかもそれは一時の現象でなかった。

     私のお馬鹿さん

 現在の東京には、このような浅ましい傾向が、どれだけ増大して行くかわからぬ勢である。そうしてこの中に浸《ひた》る東京の上流婦人の中に、次第にサジスムス性のソレが殖えてゆくのは、男性のソレと同様止むを得ない事である。
 このような婦人は、愛欲という言葉の中に含まれている「快感」が、必ずや「残忍」と「苦痛」とに依って強められなければ、本当の満足は得られないものと考えている。このような要求に応ずる男性は、初めから自分に征服されに来る者でなければいけない。学問あり見識ある智識階級の婦人が、特にこうした傾向を有する事は無論である。
 ところで、幸いにしてそのような性格を持った男性とスイートホームを作り得た婦人は、それこそ例の文化生活を徹底的に味わい得るわけであるが、さもない限りこうした要求は、自分の夫以外の「私のお馬鹿さん」や「お人形さん」に求めねばならぬ。そのような商売人が前述の通り東京にはいくらでも居る。殊に震災後急増したところを見ると、新東京の新文化の裏面が、如何に陰惨を極めたものであるかがわかるであろう。

     変態性欲と虚栄

 東京に於ける上流婦人のサジ式傾向の具体的説明はここに避ける。その男性(夫をも含む)を虐待し、その苦痛を忍受しつつ唯々諾々として自分の美の光りを渇仰する有様を見て、初めて愛欲の徹底的満足を受ける実況は、容易に覗《うかが》い得られぬと云うに止めておく。只ここに特筆しておきたいのは、このサジ式の性格を有する婦人のサジ趣味が所謂虚栄というものと関係がある、恰《あたか》も教育とヒステリーのそれのごとく切っても切れぬ関係があるということである。
 但、これは記者の新説でも何でもない。
 事実上、婦人のサジ性が生んだ虚栄は、新東京の新文化に興味ある影響を与えているのである。
 又話が理窟っぽくなるが、事実を説明するためには止むを得ない。
「理解ある結婚」という言葉が非常に流行するが、言葉と実際とは大きな違いで、現在のところでは、「理解ある」という言葉を「野合」の「野」の字に当てはめた方が早わかりである。
 九州あたりではそうではあるまいが、震災後の東京ではそうである。強いて理窟をつければ、教育ある男女の「野合」のことを「理解ある結婚」と名づくるとでも云おうか。そうして東京は、この流行の中心と認められている。
 こうした結婚が
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