チを顔に当てたり、一しずくホロリと落したりするのだそうな。
相手の様子に依っては、慌てて降りる風をする。それを見て相手も立ち上れば、もうこっちのものだという。
さもない時は少年の降りる処で降りで[#「降りで」は「降りて」の誤記か]、叮嚀にお辞儀をして、その少年が帰って行くのをいつまでも立って見送る。
……先へ行き得るのはないという。
しかし、まだ感心してはいけない。
煙草を吸う女学生
東京の或る女学校では、健康診断や体格検査の時に女生徒に口を開かせて、虫歯の有る無しを調べさせる。実は煙草を飲んでいるかどうか見させるのだそうな。そうして発見次第、その名前をブラックリストにつけても、大抵間違いはないという事である。
但、煙草を吸うからブラックリストにつけるのではなくて、男と交際している何よりの証拠だからだそうである。夜間なぞは、煙草を利用して男の学生に近付く不良少女がチョイチョイ居るという。
「一寸《ちょっと》済みませんが燐寸《マッチ》を……」
と云うかどうか知らないが、九州の男学生にそんな事を云ったら気絶する……と云っておく。
活動館で様子のいい学生を見つけて、その近くに割込むのもある。
先ずハンケチを出して、かぐわしいエマナチオンを漂わせる。その学生が手でもたたくと、すぐに共鳴して、
「マア……」
とか何とか、つつましやかに溜息をする。これ位の技巧なら新しい少女は大抵心得ている。
そのうちに、
「あの……本当に失礼で御座いますが……プログラムをちょっと……あの……」
と引っかけて見る。熱狂したふりをして学生の膝に手を突いたり、ピッタリと寄り添ったりする。
相手の身体にズンズン電気が充実するのがわかる。
借りたプログラムに手紙を書いたり、仮病を使ったり、映画の批評や何かを話し込んで別室に連れ出したり、自由自在とある。
しかし、まだ驚いてはいけない。
少年の二段誘惑法
悲しい事に、今の女学生は男学生のあとをつける程の力を持たぬ。だから、活動なぞで誘惑するのは、ハネたあと数時間、もしくは一二時間の間で、その間にカフェーや何かに這入って必要な約束をせねばならぬ。故郷に遠い男学生で、旅の恥は掻き捨てなぞいう連中があったら、恐ろしく手軽で済む。カフェーの家族室やホテル、宿屋なぞで、「即決可決」が随分多いと聞く。
又、もし一人が失敗と見たら、ほかの団友に渡す。こうして前後二段に攻め立てると、そこは人間の浅ましさで、大抵固い少年でも自惚《うぬぼ》れが出て来る。これが油断の始まりで、つい気がうきうきして、第二の女学生の手段に引入られて見たくなる。
又、第一の少女「何子さんの友より」とか何とか書いて、第二の少女から手紙を出すのがある。
「あなたのために何子さんは病気におなりになりました。どうぞ助けると思って……」
但、ここまで来るのはよほど手強いので、もっともっと手軽いのが最近の東京では普通だという。
往来で知らぬ少女に名刺を突つけて結婚を申込む男……又は見も知らぬ男に、
「あなたの理想の御婦人はどんなのでしょうか。参考のために是非お知らせ下さいませ」
と手紙を出す少女が居るという位だから……。
匙《さじ》を投げかけた記者
東京はこんな風に、大人の享楽主義の天国であるように、少年少女の花の都である。
牛込の神楽坂、渋谷の道玄坂、神田の神保町付近、本郷の湯島天神あたりの夜は、今でもそんな気分の「淀み」を作っている。
そうして、そんな処を摺り鉢の縁《ふち》とすると、底に当るのが銀座である。
その銀座が夜になると、来るわ来るわ、東京市に居る人で銀座散歩《ぎんぶら》を知らぬ人は余程の野暮天と笑われる位である。
色セメントや色ペンキで近代様式の数寄《すき》を凝らした家並み……意匠の変化を極めた飾窓……往来に漲る光りの洪水……どよめき渡る電車、自動車の響の中《うち》に、ささやき合い、うなずき合いつつ行く、華やかな「希望」や、あでやかな「幸福」の姿は、十分間も立ち止まっていれば、ガッカリする位眼の前を横切って行く。
どれが不良やら善良やら、見当が付きそうにも思えぬ。
しかし、記者はガッカリしなかった。そんな処を毎日うろついて、或る事を探ろうと試みた。或る事とは、不良少年少女の団体が、どんな風に活躍しているかという事であった。
しかし、それが又、片っ端から骨折り損になって行くのにはウンザリした。何一つ収穫なく、コーヒーで腹をダブダブにして、電車に揉まれて帰るのは全くイヤなものであった。
しまいには事実上殆ど匙を投げてしまった。
ところが――。
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ずっと前、東京市中の学生仲間に鳥打帽大流行の事を書いた。そんな材料を調べている最中の
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