う。
彼等はおしまいにどうなるのでしょうと、その巡査に尋ねたら、
「さあ、よくわかりません。誘拐されて……と云っても、別に誘拐という程の意味もありませんが、つまり拾われて、労働者や乞食の手伝いになるか、顔立ちのいい物は見世物師に連れて行かれるなぞは出世の方でしょう。それもタマにあるので、大抵は立ちん坊か乞食にでもなるのでしょう。病気で死ぬのは滅多にありませんが……」
と淋しく笑った。
人間苦を知らぬ哀れ
浅草公園内のチンピラは、よく不良少年の手先になって手紙なぞのお使いに遣られる。
しかし彼等は頭が単純だから、複雑な用事は出来ない。お使いの出来る範囲も大抵は浅草界隈に限られているので、遠方でもお使賃《つかいちん》欲しさに頼まれはするが、当てにならぬという。又、彼等は割りに正直で、何でも包み隠しをしないのが多いので、返事の要る手紙なぞを持たせると危険だそうである。
彼等は又、醜業婦とその情夫の間の文使《ふみづかい》もやる。こっちは不良少年のようにスッポカシを喰わするような事はなく、きっといいお使賃を呉れるので、彼等はどこの伯母さん、ここの伯父さんと尊敬している。
彼等の言葉は立ちん坊と同様に、最下等の江戸弁を今一つ下等にして、おまけに恐ろしく略した早口で云う。生え抜きの江戸ッ子でもわからない位であるが、醜業婦や女給はそれらをよく聞きわけて、彼等にわかるように云い聞かせるから、割りに面倒な用事が頼めるという。その代りその女たちの雇い主に発見されると、思い切り非道《ひど》い眼に合わされる。
その又《また》返報には、綽名を付けたり、汚物を入口にぬすくったり、小便を引っかけたりするという。勿論、いいも悪いもわからない。
彼等はこうして浅草公園内を全世界として、何の苦もなく、喰い且つ遊んでいる。そうして物心が付いて人間世界のわびしさを知る頃になると、何処へともなく消えて行く。
彼等の生涯は影のように無意味である。彼等の魂は天使のように悪を知らぬ。
あらゆる人間苦を集めた大都会の寂しい反映でなくて何であろう。
享楽の浅草の中心に沁み出た、はかない哀愁の影でなくて何であろう。
鳥打と中折れ
昨年の十月の或る日の正午――。
雨上りの青空が浅草観音堂の上一面にピカピカと光っていた。
瓜生岩子《うりゅういわこ》の銅像の横のベンチに、青い派手な鳥打帽と、黒のジミな中折れ帽が腰をかけていた。黒の中折れは何か気味悪そうに青い鳥打の話をきいていた。二人共まだ若かった。
記者はその横に腰をかけて、懐中からノートを出して何やら書いていた。
青い鳥打帽が二三度話をやめて記者をジッと見ていたが、突然声をかけた。
「オイ、オトッツァン。済まないが退《ど》いてくんないか。こちらの話の邪魔になるから」
記者はドキンとして顔をツルリと撫でた……風邪が抜けないので鬚蓬々《ひげぼうぼう》としていた。次に帽子を冠り直した……古ぼけた茶の中折れであった。おとっつぁんと呼ばれても文句は云えなかった。
記者は眼をパチパチした。
何だか可笑《おか》しくなりながら、相手の鳥打帽の下にキラキラ光る二つの眼を見た。虚勢を張っていたせいか、その光りがだんだん怖くなった。記者は静かに帽子を脱いで、わざと福岡弁で云った。
「共同椅子だすけん……よござっしょうもん」
鳥打は意味がわかったらしく、青い顔をサッと青くしたようであった。黒い中折れをふり返って云った。
「君はいいから行き給え」
黒い中折れはペコペコお辞儀をして去った。あとを見送った青い鳥打は記者の方を向いた。
「おめえ、東京初めてか」
「……ヘエ……」
「こっちへ来い」
記者は随《つ》いて行った。
鳥打帽は馬道へ出た。交番の前で又記者をふり返ってギョロリと見た……それからがよくわからないが、焼け木の積んである横路地を二つ三つ抜けて、夕顔を絡ませた新しい板塀にぶつかった。その横の切り戸を開いて、又、横路地のような処をすこし行くと、長屋式の板壁の途中に小格子がたった一つあった。そこを開くとすぐ狭い梯子段で、それを上って洋式のドアーを開くと……。
意外にも立派なカフェーの二階に出た。前はどこか知らぬがかなり賑やかな通りである。
鳥打はインバネスを脱いで、帽子と一緒に壁にかけた。記者もその真似をした。
二人は卓子《テーブル》を隔てて差向った。
擬《まが》い大島を着た二十ばかりの美青年である。「案外若い」と記者は心の中で驚いた。
何も云わぬのに美しい女給が珈琲を二ツ持って来た。
青年は飲んだ。
記者は飲まずに云った。
「何か御用で……」
青年は飲みさした茶碗をしずかに置いた。片手を懐にして肩を聳《そび》やかした。
「先刻《さっき》のノートを出し給え」
記者は又
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