た狼が横行するに任せてある……」
 といったような風説、又は事実が口から口へ、又は新聞紙上にあから様に伝えられた。それ程に震災後の東京は飢《う》えていた。この飢に堪え得たものは教育ある上流人士よりほかにない。否、その上流の男女があの震災後如何に身を護りかねて来たか……堕落して来たかは前に述べた通りである。況《いわ》んや下層社会に住む職業婦人がどうして身を護り得よう。
 ライスカレー一皿で要求に応ずる女が震災直後に居た事は前に述べた。その後東京市中の秩序が回復して来るに連れて、そのライスカレー一皿の価十銭が五十銭となり、一円となり、五円となって来たことは云う迄もないが、しかし、それは只高価になった迄の事である。野天で売買されなくなっただけであることは云う迄もない。

     安飲食店激増の理由

 震災後の東京で最も増加したものが飲食店と自動車である事も前に述べた。殊に飲食店は東京市中のすべての半町|毎《ごと》に一つ宛《ずつ》位は必ずある。多いところは一町内の過半数が飲食店と云ってもいい位である。これ等の飲食店は一般東京市民の要求に依って出来たもので、市民と彼女達の仲介業者であった。結局、震災後の東京でその甚だしく増加した商売は、職業婦人の第二職業という事になる。
 彼女たちは現在でもこうした安飲食店から、高級な処ではカフェー、洋食店にまで行き渡って第二職業を本職としているのが多い。
 一方に復興の東京は彼女達職業婦人の多数を第一の職業に呼び返した。その上に更に夥しい新米の職業婦人を迎え入れた。震災の御蔭《おかげ》で第二の職業を知った職業婦人の多数と、まだ第一の職業しか知らぬ新米の職業婦人の多数とは、こうしてゴッチャになって東京の復興に努力し始めた。

     震災後の淫風と生活難の誘惑

 昔から大変災のあとに必ず吹き起る事になっている淫風は、蕩々として彼女達職業婦人を包んだ。第二職業の味を占めたものも、占めないものも、一様にポーッとなった。
 更に、バラック都市のアクドイ色彩は、夜となく昼となく彼女達を刺戟した。着物道楽の流行で、震災前よりも一層デカダン式にリファインされた男性の姿は、彼女達を朝な夕な眩惑した。
 第一の職業しか知らぬ新米の職業婦人は、次第に第二の職業を習いおぼえて来た。
 そればかりでない。
 震災後の東京に於ける生存競争が、震災前のそれより
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