この事実を疑うものは、東京人の中に一人も無いと云っていいであろう。
「ああ、あれかい。あれあ、君、職業婦人だよ」
という言葉は、大抵の場合、この種類の婦人を意味すると考えるのが現代式だそうである。だから記者も、この種類の職業婦人のことを職業婦人と名づけて取り扱う事にする。
彼女たち職業婦人は、その名前の美しく雄々しいように、その姿も派手で活溌である。最新流行は愚かなこと、永年東京に住んでいる東京人でも眼を丸くしてふり返るような、思い切ったスタイルでサッサと往来を歩いて行く。流行の競争はとっくの昔に通り越して、自分自身が万人の注目の焦点となるべく、あらゆる極端な工夫を凝らしているかのように見える。
九州で福岡は東京流行の魁《さきがけ》
九州で東京風の流行の真先に這入《はい》って来る処は福岡で、その次が大分県の別府だそうである。
それかあらぬか、記者が東京の職業婦人の新スタイルを見て仰天して帰って来て見ると、こはいかん、ツイ一ヶ月ばかり前まで気ぶりも見えなかった福岡の淑女令夫人達が、堂々とその風《ふう》を輸入して、得意然と大道を練り歩いて御座る。別府には行って見ないからわからぬが、これは流行《はや》っているにしても、福岡のように土着の人がやっているのではあるまいから、さまで驚くにも及ばぬであろう。
四五年このかた流行《はや》り始めた頭の結い方に、「ゆくえしらず」というのがある。今では通俗化して、一般の真面目な人――主として中年以上の婦人がやっておられるようであるが、髷《まげ》が無いために前髪や鬢《びん》をかなり思い切って膨らさねばならぬ。
東京の職業婦人の頭はここいらから発達したものであろうか。その形の思い切って大きいのが何よりも先に眼に付く。
頭髪の大きさの競争
職業婦人の頭といえば、直ぐに一抱えもある毛髪の集団《かたまり》を思い出す。日露戦争当時流行した二百三高地どころでない。五百三から八百三位まである。それへ櫛《くし》やピンの旗差し物が立てられて、白昼の往来をねって行く……と云ったら法螺《ほら》と云う人があるかも知れぬ。
法螺かも知れぬが、記者は間もなくそんな頭を見慣れてしまった。更にそれ以上の変妙不可思議な頭をいくつも見た。
尤《もっと》も彼女達は初めからこんな大きな頭をしていたのではない。
彼女たちは自分の頭
前へ
次へ
全132ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング