ま》いものでもない。その繊維は余りに固く、その味はあまりにも単一で古めかしい。本格探偵小説の真価は、もはや古典的なものになってしまっている。その謎々の使命も既に、古来の所謂、文芸から大衆の興味を奪い去った時に終ってしまっている。そのトリック、謎々の真価値は大英博物館にでも納めなければ光らなくなってしまっている。
だから云う。馬来《マライ》半島に残存している野鶏だけがホントウの鶏である。その他のブラマ、オーピングトン、アンダラシャン、ブリモースロック、ミルカ、コーチン、レグホンの類は鶏でない。水炊《みずたき》にもスキ焼にもチキンライスにもロースチキンにしてもいけない。同じ金網の中で同じ餌を遣ってはならぬ……という宣言に対して、羅馬《ローマ》法皇に対する新教徒のような萎縮や、絶望を新人諸君が感ずる必要は毛頭ない。
鶏の人類に対する真実の使命はその変種に在る。食用鶏は卵が少く、採卵用鶏は肉が美味《うま》くない。それでいいのだ。
同様に探偵小説の真の使命は、その変格に在る。謎々もトリックも、名探偵も名犯人も不必要なら捨ててよろしい。神秘、怪奇、冒険、変態心理、等々々の何でもよろしい。吾々はもはや太陽の白光だけでは満足し得ないのだ。スペクトルの七色光だけでも既に満足し得なくなっているのだ。紫外、赤外線は勿論のこと、その中に横たわる暗黒線の内容までも分析して、何かしら戦慄的な、絶大恐るべき毒線を作る原素の潜在を確保しなければ、良心的に生き甲斐を感じなくなっているのだ。どこまでも探偵し、暴露して行かなければ本能的に満足が出来なくなっているのだ。
探偵小説の使命はこれからである。
全世界はまだまだそうした探偵小説の処女地である。何でもない暑中見舞のペン字の曲り目から、必死的な殺人の呪いが分析され、新しいハンカチの折目から持主の不倫行為の現場が映写し現わされ得る筈だ。
この無良心、無恥な、唯物功利道徳の世界は到る処に探偵趣味のスパークが生む、新しい芸術のオゾン臭が、生々しく蒸《む》れ返っている筈だ。
新人よ、疑懼《ぎく》し躊躇する事は絶対にない。
日本民族の趣味は確実に、敏速に低下して行きつつ在る。肉慾から犯罪へ――文芸趣味から探偵趣味へ――唯物科学から、唯心分析へ――良心から――無良心へ――。
だからコンナ風にも考えられるようである。
探偵小説は、良心の
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング