名の下に、強烈な下剤を以て探偵小説界から駆除されなければならないのだ。
 探偵小説はどこまでも探偵小説として、ストーリー本位の使命を守って行かねばならない。単なる謎々の筋書のみを守って行く所謂本格に生きて行かねばならないのだ。
 しかもその本格モノを書ける作者は現在の日本に極く少数しか居ない。のみならずその少数者は結局「一人二役」「探偵即犯人」「偽アリバイ」等々の極めて少数トリックが存在し得るだけの数だけしか探偵小説は書けない事に理論上なっている。その水の手の切れた、敵から案内を知り抜かれている、狭い、窮屈な牙城に一人か二人しか居ない探偵小説家は立籠《たてこも》ろうとしているのだ。そうしてその外廓をウロウロしている変格の二股武士に向って大きな声で宣告しつつ在る。
「本格以外のものは探偵小説ではないぞ」
 ……と……。大勢の二股武士、変格探偵小説家の群れは、これに対して一言も答え得ない。……たしかにその通りである……同時に絶対にソンナ事はないぞ……という言葉を口の中で戸惑いさせつつ、ヒッソリと静まり返って、相も変らず水の手の豊富な外廓をウロウロしている。
 だから日本の探偵小説界は現在、物の見事に行詰まっている。孤城落日である。
 仏も仏教の教義が、日本人の頭脳によって急速に分析されて、あまりにも種々の宗派を分岐し、あまりにも方便化され、単純化された結果、遂に今日の如き堕落、行詰まり時代を招致したように……等々々……。

 以上のような諸現象を毎日毎日目に見、耳に聴いて来た吾々探偵小説ファンは、思わずタメ息せざるを得ない。探偵、猟奇小説界に於ける一切の新人も、思わず識《し》らずタメ息し、萎縮し、躊躇し死因化しないではいられないであろう。しかし筆者は格別驚きもせず、心配もしていない。それは中学程度の教養しか持たないせいかも知れない。又は中央文壇の荘厳から遠く離れた山の中に退化生活を営んでいるせいかも知れない。のみならず井底の蛙かもしくは盲《めくら》、蛇に怖《お》じずの類であろう。こうした大勢に対して死に物狂いの反撃をしてみたくなった。声ばかりでもいい、「探偵小説は行詰まっていない」と絶叫してみたくなった。
 新しい人々の自由奔放な大暴れが期待したくなった。笑われてもいい。憎まれても構わない。それが探偵小説界のためだと思い込んでしまった。筆者は敢えて云う。

 所謂、本格
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